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◆北京五輪 体操(17日、国家体育館) 男子種目別の床運動で、新鋭の内村航平(19)=日体大=は15・575点で5位となり、今大会3個目のメダル獲得を逃した。途中の3連続技の一つを抜かしてしまう痛いミスがあり、点数が伸びず。全競技を通じ、日本人10代選手初の1大会メダル3個獲得はならなかった。金メダルは鄒凱(中国)で16・050点。あん馬の冨田洋之(27)=セントラルスポーツ=も15・375点で5位。肖欽(中国)が15・875点で優勝した。

 最後の着地を決めると、内村は苦笑いのような表情を浮かべた。第2シリーズの3連続技、最後の前方宙返り1回半が跳べなかった。その分、価値点が0・2点マイナスになった。初五輪、最後の種目でメダル締めとはいかなかった。

 「(技が)抜けました。失敗したので、点数はどうでもよかったです。あとで言ってもしょうがないので、4年後の課題ということで」いつも通りの演技なら、十分メダルに手が届いたが、さばさばした様子で振り返った。

 個人総合の銀メダルで一躍、体操界の新エースとして日本国内で話題だが、「ケータイが充電しすぎか、爆発して電源入らないので、日本のことは分からないです」いたってマイペースだ。

 まだ子供の部分も残す“王子”も、体操にかける思いはマジメそのもの。東洋高1年の時に、腰椎(つい)分離症を発症。それ以来、腰痛は付き合い続けなければならない持病のようになった。五輪前に「普通に歩いていても痛かった」ほどになったことも。母・周子さんは「航平と同じぐらいの症状で、体操を辞める子はいる。続けるか続けないかは本人次第。強い気持ちを持つことが大事なんです」と、息子の頑張りに感心する。「体操以外は興味がない」と常に競技のことだけを考えてきた。

 初出場の五輪はこれで終わり、団体、個人総合で銀メダル2個と上々の結果を手に入れた。「日本に帰ったら、とりあえず寝たい。もうちょっと経験積んでピークを4年後にもっていけるようにします」2012年ロンドン五輪で世界の“体操王”を目指し、技に磨きをかける。

参照元:スポーツ報知

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◆北京五輪 女子マラソン(17日・五輪マラソンコース=天安門広場-国家体育場、42・195キロ) 土佐棄権、中村は13位に終わった。アテネ五輪金メダリスト、野口みずき(30)=シスメックス=が欠場し混戦が予想された女子マラソンは、土佐礼子(32)=三井住友海上=が右足の痛みで25キロ過ぎに無念の途中棄権。中村友梨香(22)=天満屋=は2時間30分19秒の13位に終わった。土佐はいったん主婦に戻り、将来はママさんランナーとしてマラソン復帰を目指す。日本の3連覇はならず、88年ソウル五輪以来のメダルなしとなった。05年世界陸上3位のコンスタンティナ・トメスク(38)=ルーマニア=が、2時間26分44秒で金メダルを獲得した。(天候・くもり、気温23度、湿度73%)

 泣きながら走り、泣きながらリタイアした。25キロすぎの給水所、木内敏夫コーチに声をかけられると、ふらつく足を止めた。「痛~い、痛~い」と悲鳴を上げながら、夫の村井啓一さん(34)に抱きかかえられ、救急車へ。11回目のマラソンで初の途中棄権。悔しすぎる結果に、土佐は車内で泣きじゃくった。

 調整でつまずいた。大会3週間前の中国・昆明合宿中、右足外反母趾(ぼし)をかばううちに右足人さし指の付け根に痛みが出た。この日も痛み止めを飲み、スタート。だが、患部をかばう走りで、中指骨に痛みが出始めた。17キロ付近で顔をゆがめ後退。いつもは終盤で見せる涙まじりの苦しい表情のまま、足を引きずる走り。沿道の村井さんから「もうやめろ、やめていい」。大きな声がかかる中、8キロあまりも進み続けた。鈴木秀夫総監督によると、病院でエックス線検査の結果、骨に異常はなかったという。

 アテネ五輪でメダルを取っていれば、引退していたはずだった。あと一歩の5位に終わり、闘争心に火がついた。「壮絶で死ぬんじゃないか」と夫が顔をそむけるような厳しい追い込み練習に泣きながら耐えた。昨年の大阪世界陸上約1か月前に転んで左ひざを痛め、一時は松葉づえ姿。走れない間はプールで連日3時間も歩き続けて体力を落とさないように努力し、銅メダルに輝いた。

 夢がある。「子供を産んで、お母さんになってから1回、本気でマラソンを走りたい」。世界記録保持者ラドクリフが、表彰台で我が子と喜びを分かち合った姿にあこがれている。五輪はこれで最後になるのが確実。休養を取り、4年間も“別居婚”だった夫と松山市内の新居で、初の夫婦生活を過ごす予定だ。“産休”を経て、再び世界のマラソン戦線に戻ってくるときは、ひとまわり強くなった姿を見せてくれるはずだ。

 ◆今度は2人で男子マラソン応援 ○…土佐の夫・村井さんは、沿道から懸命に声援を送り、棄権の際は、土佐をおぶって救急車に運んだ。元陸上選手で、高校時代は同級生の北京五輪男子マラソン代表・尾方剛と競い合った。同代表の大崎悟史はNTT西日本に勤務し、走っていたころの後輩で、「応援する人が3人いるんです」と大会前は話していた。次は24日の男子マラソンで、愛妻とともに2人を応援することになりそうだ。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 男子四百メートルメドレーリレー(17日・国家水泳センター) 男子四百メートルメドレーリレー決勝で、日本が3分31秒18の日本新で2大会連続の銅メダルを獲得した。第2泳者の北島康介(25)=日本コカ・コーラ=は、3人を抜いて一時トップを導き、“丸刈りルール”も作って宮下純一、藤井拓郎、佐藤久佳の3選手を引っ張った。米国が3分29秒34の世界新で制し、第3泳者のマイケル・フェルプス(23)=米国=は五輪史上最多の1大会8冠の“金”字塔を打ち立てた。競泳は全種目が終了。北島ら日本チームは19日に凱旋帰国する。

 花道を飾った。4人で横一列に手をつないで上った表彰台。北島主将は「役割を果たせた。4人で1つのメダル。リレーは国と国との総合力勝負。最後に目標を達成できて良かった」と、晴れやかな笑顔を見せた。

 「集大成」と位置づけた五輪でのラストレース。背泳ぎの宮下が4位で戻ってくると、50メートルを最速の27秒24で飛ばし、80メートル付近で宿敵ブレンダン・ハンセン(26)=米国=らを抜き、1位で引き継いだ。個人種目なら世界新となる驚異の58秒07で、0秒71のビハインドを0秒42のリードへ変えた。「もう1回、彼(ハンセン)と泳げたことは幸せ」01年から戦ってきた宿敵に1秒20もの差をつけた。

バタフライの藤井がフェルプスに、アンカー(自由形)の佐藤はオーストラリアに抜かれたが、アテネに続く銅メダル。主将が課した“ノルマ”が、緊張感とチームワークを生んだ。実は大会中、設定記録を破れなかった選手は丸刈りにするルールを定めた。「宮下は53秒台、佐藤は48秒50を切らないと坊主頭な、って」宮下は53秒87の快泳。予選でクリアできず丸刈り頭にした佐藤も48秒35を出した。

 全競技後、日本競泳チームは会場で記念撮影。一本締めで大会を打ち上げた北島は、その場でジャージーを脱がされ、水着姿で胴上げされた。さらに、最後は4年前と同じくプールに投げ込まれる手荒い祝福を受けた。「皆に金メダル取るところを見せられて、日の丸を揚げて国歌を歌えた。非常に満足してます」日本のスポーツ史上に永遠に語り継がれるであろうアスリートは、すがすがしい笑顔で、五輪の舞台を後にした。

 ◆北島 康介(きたじま・こうすけ)1982年9月22日、東京・荒川区生まれ。25歳。日体大卒。00年シドニー五輪100メートル平泳ぎ4位。04年アテネ五輪、08年北京五輪百メートル、200メートル平泳ぎ2冠V2。178センチ、73キロ。「4人でメダルを取りに行こうと言ってきた。チームに感謝したい」

 ◆宮下 純一(みやした・じゅんいち)1983年10月17日、鹿児島市生まれ。24歳。筑波大卒。ホリプロ所属。06年アジア大会百メートル背泳ぎ優勝。08年北京五輪同8位。182センチ、74キロ。「今までで一番のレース。(同じ事務所の和田)アキ子さんと食事できればいいですね」

 ◆藤井 拓郎(ふじい・たくろう)1985年4月21日、大阪・河内長野市生まれ。23歳。早大卒。コナミ所属。07年日本学生初優勝。08年北京五輪百メートルバタフライ6位。184センチ、75キロ。「自分の力は精いっぱい出せた。康介さんにリードをもらった分、死にものぐるいで頑張りました」

 ◆佐藤 久佳(さとう・ひさよし)1987年1月12日、北海道・苫小牧市生まれ。21歳。05年日本学生百メートルで49秒71の日本新。06年アジア大会百メートル自由形銅メダル。179センチ、72キロ。「康介さんに『絶対にメダル取るぞ』と言われていた。正直、ほっとしています」

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 ソフトボール1次リーグ ベネズエラ2―5日本(17日・豊台ソフトボール場) 日本はベネズエラを5―2で下し通算5勝1敗とした。オーストラリアがカナダを4―0で、米国がオランダを8―0(5回コールド)で破ったため、18日の最終戦を残して米国の1次リーグ1位、日本の2位での準決勝進出が確定し、3大会連続のメダル獲得が決定した。日本は“格下”のベネズエラに2点を先制されたが、主将の山田恵里(24)=日立ソフトウェア=が5回に逆転2ラン本塁打を放つなど、攻守にわたる活躍をみせた。

 頼れる“女イチロー”がチームを決勝トーナメントに導いた。ベネズエラに2点を先制された4回、なおも2死二塁のピンチ。7番ピメンテルの中前打を、山田は自慢の強肩で本塁へ返球し2バウンドの“レーザービーム”で刺した。さらに1点を追う5回1死一塁、右中間へ貴重な逆転2ラン。主将の活躍で日本は息を吹き返した。

 元競輪選手の父・良彦さん、元陸上選手の母・文子さんから抜群の運動能力を受け継いだ山田は中学時代は野球部に所属。男子部員を退けてレギュラーでプレーした。あこがれは当時オリックスのイチロー(現マリナーズ)。自室にポスターを張り、当時の振り子打法もまねした。神奈川・厚木商高入学後、ソフトボールを始め走攻守のそろった好選手として活躍。いつしか“女イチロー”の異名がつき、現在も「左右への打ち分け方や精神面も参考にさせてもらっている。WBCの時に守備でも攻撃においてもチームを引っ張っていた」と言う。

 実力の劣る相手にも苦しい試合が続いているが、敗れたのは15日の米国戦だけで、数字上はここまで「計算通り」の戦いぶり。斎藤春香監督(38)も「山田のあのプレー(中堅からの好返球)は大きかった。本塁打も主将としての重圧の中でよく打ってくれた」とたたえた。それでも山田は「一人一人が役割を果たせば勝ちにつながる。攻める気持ちでいきたい」と表情を緩めない。試合後、オーストラリアがカナダを破ったため、日本の2位以上での準決勝進出が確定し3大会連続のメダルは決まったが、悲願の金メダルだけを追い求める。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 卓球(17日・北京大体育館) 男子は試合前から燃え尽きていた。0―2から1度追いついた前日のドイツ戦ような粘りは見られず、宮崎義仁監督(48)は「(準決勝で)負けたショックが大きすぎた」と唇をかんだ。

 先陣を切った韓陽(29)=東京アート=が03年世界王者のシュラーガーにストレート勝ちしたが、続く水谷隼(19)=スヴェンソン=は苦手とするカット主戦型の相手に完敗。「昨日の敗戦が頭にあった」と肩を落とした。今大会負けなしのダブルスの水谷、岸川聖也(21)=スヴェンソン=組も、フルゲームで2度のマッチポイントを逃して敗れた。

 気持ちを切り替えようと話し合って臨んだが、悪い流れを変える力は残っていなかった。「ギリギリのところを何試合も戦い抜くタフさを身に付けないと」と宮崎監督。4年後へ、どん底からはい上がるしかない。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 卓球(17日・北京大体育館) 女子団体3位決定戦で日本は韓国に0―3で完敗。日本卓球界初のメダル獲得はならなかった。エースの福原愛(19)=ANA=はシングルス2番手で登場したが、1次リーグでも敗れた相手に1―3と連敗し、試合後は悔し泣き。20日の3回戦から登場するシングルスで上位進出を狙う。日本男子は敗者復活2回戦でオーストリアに1―3で敗れ、3位決定戦進出を逃した。

 こらえていた涙があふれてきた。平野早矢香(23)=ミキハウス=、福岡春菜(24)=中国電力=のペアがダブルスで敗れ終戦。試合後は気丈に相手チームの勝利をたたえていた福原も、平野、福岡が泣き出すと「つられて泣いた感じ」。香港に逆転勝ちして感涙した前日から一転、悲しみの涙がほおを伝った。

 第1シングルスの平野が敗れ、負けられない状況で迎えた相手は、1次リーグでストレート負けを喫した唐イェ序。「一度負けてる相手。思い切ってぶつかるだけ」と臨んだが、攻撃が見透かされているかのように逆を突かれた。「相手も研究してきた。自分もしたつもりだったけど、向こうの方がレベルが上だった」

 0―2から1ゲームを奪い返すも香港戦で効果的に決まったサーブは不発。第4ゲームには王子サーブも出したが、試合を動かすことはできなかった。「自分が(試合を)取っていたら流れが変わったかもしれない」。試合後はチームの主将である平野に「ごめんね」と謝った。

 チームとしても1次リーグと同じく0―3でまたしても完敗。目標のメダルを逃した。「やっぱりメダルを取りたかった」と福原は唇をかむ。近藤欽司監督(65)は「力の差は否めない。サーブをもっと磨くこと、しっかり点を取れるスマッシュが必要」と4年後のメダルへの課題を挙げた。

 団体戦が終わり、次は個人戦が始まる。しかし「すべて終わって心の中は空っぽ」と福原は意気消沈。今年3月の世界選手権で銅メダルを獲得した団体戦で「完全燃焼したい」と懸けていただけに、体力とともに心の回復も心配される。

 シングルスでは、初戦の3回戦を突破すると、4回戦は世界ランキング1位で第1シードの張怡寧(中国)と当たる“いばらの道”が待つ。「五輪は何が起こるか分からない。最後の1球まであきらめずにいきたい」最後は何とか前を向いた。敗戦から立ち上がり、奇跡を起こせるか。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 バレーボール(17日、首都体育館ほか) 1次リーグの最終戦を行い、世界ランク5位の日本はアテネ五輪金メダルの中国に24―26、16―25、14―25でストレートで敗れた。A組はポーランドが米国に敗れて1勝4敗となり、試合を待たず2大会連続の決勝トーナメント進出が確定。だが通算2勝3敗で4位通過となり、19日の準々決勝でB組1位のブラジルと対戦が決まった。世界3位のキューバはベネズエラにストレート勝ちし、5連勝で1位通過。4勝目を挙げた米国は2位が確定した。

 最後は中国の強烈なスパイクを拾い切れず、勝負が決した。満員のスタンドは「加油(頑張れ)」の大合唱。日本に容赦ないブーイングが飛び、1セットも奪えず完敗。主将の竹下は「我慢強く戦い切れなかった」と悔しがり、柳本晶一監督(57)は「メンタルで耐えきれなかった」と唇をかんだ。

 出足でつまずいた。第1セット、12―3とリードしながら守りきれず、ミスを連発して24―26で落とすと、接戦を落としたショックを引きずり、エース栗原、高橋のスパイクは次々と中国のブロックにかかった。栗原は「責任は自分にある。自分が決めないといけない」とうつむいた。 日本は2勝3敗となり、各組上位4チームが進む決勝トーナメントにA組4位で進出が決定。準々決勝はB組1位のブラジルが相手だ。世界ランク1位のブラジルは失セットなしの5連勝と絶好調で、メダルへの道のりが極めて険しくなった。

 それでも、簡単には引き下がれない。24年ぶりのメダルへ柳本監督は「最強のチームになった」と胸を張る。目標まで、あと2勝。柳本ジャパンの集大成を北京のコートにぶつける。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 レスリング女子 フリースタイル63キロ級決勝(17日・中国農大体育館) レスリング女子63キロ級で、アテネ五輪金メダルの伊調馨(24)=綜合警備保障=が連覇を飾った。準決勝は苦戦の末にダグレニアー(カナダ)を撃破。決勝では今年の欧州女王カルタショワ(ロシア)を判定で下し、前日の48キロ級で銀メダルだった姉・千春(26)=綜合警備保障=の無念を晴らした。今後は、米国へのレスリング留学を視野に入れていることも明らかになった。

 両手で顔を覆った。2人分の思いが涙になって流れ出た。激戦となったカルタショワとの決勝を際どく判定で制し、姉妹の北京ロードが完結。「うれしいの一言。千春が『金メダルを取ってこい』と言ってくれたので」涙で抱き合った姉に送り出されて表彰式は一転笑顔になり、エクボをつくって宝物にキスした。

 危なかった。2、3回戦こそ連続フォール勝ちで突破したが、準決勝のダグレニアー戦は「今までの人生にない」という大苦戦。右足を取られてバックを奪われた痛恨の失点から終了間際に寝技でポイントを取り返し並び、「ラストポイント」のルールで命拾いした。

 しばらく立ち上がれず、マットを下りる足がフラつくほどの消耗戦。決勝もまた、右ひざ外側じん帯を痛めて満身創痍(い)だった。「最後は千春が体を動かしてくれた」前日の48キロ級で姉が銀メダルに終わり、姉妹Vの夢が消滅。「戦う意味がない」と意気消沈する馨に夜、千春からメールが届いた。「金メダルを取ってこい」食事ものどを通らず、眠れず、朝には吐いたのに、この一言が土壇場の劣勢をはね返す力になった。「レスリングは0点だけど気持ちは100点だった」

 ストイックに戦った姉と、マイペースでのんびり屋の妹。互いに支え合った4年間を振り返り「千春がいたから私も頑張れた。たとえ1個でも2人でつかんだ金メダル」とその価値を自らたたえた。

 世界選手権5連覇。五輪も連覇した。満足感はある。「千春が一区切りというなら、私も一区切りかな」とW引退をほのめかした。だが、さらなる進化を求める自分がいるのも確かだ。続けるなら“独り立ち”しなければならない。もう一つの選択肢は海外留学。「所属先と相談しなければならないけどアメリカに行きたい」と明かした。

 日本流で世界最強に上り詰めたが、03年11月に米国チームの練習に参加した際、個々に合わせて長所を伸ばす環境に触れ、新技習得や欧米選手への対応などに刺激を受けた。英会話上達への意欲も強い。

 「また自分の気持ちを奮い立たせることができればやるけど、今は家族とゆっくりしたい」と話した日本の至宝。海を渡る決意をしたとき、日本女子史上初となるV3へのスタートが切られる。

 ◆伊調 馨(いちょう・かおり)1984年6月13日、青森・八戸市生まれ。24歳。綜合警備保障所属。中京女大付高―中京女大出。レスリングは3歳から八戸クラブで。02年世界選手権で初出場初V。以来、07年まで5連覇中。04年アテネ五輪を含め6年連続世界女王。07年5月のアジア選手権は故障で1回戦不戦敗、4年2か月ぶりの黒星を喫した。166センチ。家族は両親と兄、姉。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 陸上(17日、国家体育場) 男子ハンマー投げ決勝で、アテネ五輪金メダリストの室伏広治(33)=ミズノ=は80メートル71で5位に終わり、五輪連覇を逃した。82メートル02を出したプリモジュ・コズムス(28)=スロベニア=が優勝。アテネで出した82メートル91には遠く及ばず終戦を迎えた室伏だが、試合後は2012年ロンドン五輪までの現役続行に意欲を見せた。

 最後のハンマーが北京の夜空に放たれた瞬間、室伏は肩を落とし苦笑いを浮かべた。5位からの大逆転を狙った最終6投目は77メートル26に終わり、連覇は消えた。それでも「精いっぱいやった結果。周囲の応援のおかげでここまで来ることができました」とさわやかな笑顔で振り返った。

 1投目に79メートル47、2投目に80メートル71と距離を伸ばしたが、世界はそれ以上にレベルアップしていた。室伏の2投目の直後、デビャトフスキー、コズムス、パルシュが立て続けに室伏の記録を上回った。以降は80メートルラインを超えられず、ハイレベルな争いに敗れた。

 開幕直前の5日、腰に痛みが走り、3日間は起き上がれなかった。「今日は万全だった」と言い訳しなかったが、コーチの父・重信さん(62)は「今回が五輪でなければ出なかったと思う」と明かした。瞬間的に数百キロの負荷がかかるハンマー投げ。05年は腰を痛めほとんど試合に出られなかった。今年3月にも再発した。

 アテネでは競技終了時に1位だったアヌシュ(ハンガリー)が後日、ドーピング違反となり繰り上がりで金メダル獲得。競技場でもらったのは銀だっただけに「出来ればスタジアムで祝福されたい」と表彰台の中央に立つことを夢見ていた。

 実は距離ではなく“速さ”に挑戦する競技だ。アテネ後の4年間は中京大大学院でハンマーの投法をセンサーなどを使って解析。投射高、投射角、リリース時の初速などを研究し、一番大事なのは初速だと気づいた。究極の初速を生み出すために両足の位置、ハンマーの重心など試行錯誤を繰り返してきた。

 「(アテネからの)4年間は(結果が)たった1時間で終わるけど、素晴らしい4年間を凝縮した1時間でした」と話した後に「ぜひ、またロンドン(五輪)に行きたいと思います」と4年後の雪辱を誓った。連覇の夢こそかなわなかったが、鉄人の夢に終わりはない。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 野球1次リーグ 日本3―5韓国(16日・五カ松球場) 星野JAPANが宿敵・韓国に負けた。6回に4番・新井が左中間へ五輪初アーチとなる2ランを運んで先取点。しかし7回、先頭を四球で出した先発・和田が直後の打者に痛恨の同点2ランを浴びた。星野監督が「完ぺきにオレのミス」と悔やむ続投指令だった。9回には岩瀬が2死一、二塁から決勝適時打を打たれ、さらに守備の乱れなどで計3失点。その裏に1点を返したが、1次リーグは2勝2敗となった。18日のカナダ戦は絶対に負けられない。

 マウンドで抱き合う韓国バッテリーを見ることもなく、星野監督はグラウンドに背を向けた。新井の2ランで先制しながら痛恨の逆転負け。「岩瀬じゃない。あれは俺のミスだ」闘将が敗因に挙げたのは、守備のミスでも同点機で決められなかった打線でもない。自ら下した続投指令だった。

 2点をもらった直後の7回だった。先発の和田が先頭の金東柱へ四球を与えた。大野投手コーチがマウンドへ向かったが、指揮官の答えは「続投」。その直後に落とし穴が待っていた。李大浩に同点2ラン。肩を落とす左腕の姿に、指揮官は奥歯をかみしめた。

 「ノーアウトからフォアボールを出したところで憲伸(川上)だった。ホンマに後悔している」ワンテンポ遅れた継投を悔やんだ。2死後からマウンドに立った力投派右腕は後続を断ったが、8回2死二塁のピンチを招いたところで岩瀬を投入。ここはサウスポーが4番・李承ヨプを三振に斬った。

9回も岩瀬に託した理由を、大野投手コーチは「タイブレークのことがあったから」と説明。延長11回無死一、二塁から始まる新制度を考えての起用だったが、まさかの炎上。2死二塁から陳甲龍を歩かせ、代打・金賢洙に決勝の中前適時打を浴びた。「(陳甲龍には)勝負にいけなかった。結果がすべて」とうなだれた。

 さらに李鍾旭のプッシュバントを村田がキャッチできず(記録はヒット)、阿部が二塁へ悪送球とミスが相次ぎ、決定的な3点を失った。「ミスが出ればなあ…。最後はいいチャンスをつくったが」山本守備走塁コーチはその裏の攻撃で、サヨナラ機を演出した打線に活路を求めた。

 これで全勝のキューバ、韓国とは対照的に、日本は2勝2敗。「中国戦までに決めたい」という指揮官の青写真が崩れ、18日のカナダ戦に敗れれば決勝トーナメント進出が厳しくなる状況まで追い込まれた。「(2勝2敗は)最低のライン。あとの3試合すべて取る覚悟でやる」と力を込めた。試合後のバスでも「3試合、全部勝つぞ」と選手たちを鼓舞した闘将。瀬戸際に追いつめられつつある星野JAPANに、真価を問われる時が来た。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 レスリング女子 フリースタイル55キロ級決勝(16日・中国農大体育館) 吉田、涙の金だ!! レスリング女子55キロ級のアテネ五輪金メダルの吉田沙保里(25)=綜合警備保障=が連覇を達成した。決勝の第2ピリオド、中国の許莉(18)をタックルで倒すと、開始43秒で圧巻のフォール勝ち。今年1月のW杯で連勝記録が「119」で途切れたが、その悔しさから身につけた新型タックルがさく裂。アテネでは流さなかった涙を流した。生まれ変わった最強女王は2012年ロンドン五輪での3連覇を宣言。新・無敵伝説が始まる。

 両ひざをたたき、沸き上がる歓喜を両拳でマットにぶつけた。しゃがみこみ、立ち上がり、スタンドに絶叫。その顔が、涙でぬれていた。「アテネでは泣いてないと思う。今日が一番泣いたかも。それだけ苦しい思いをしてきたから」。栄和人女子監督に肩車をされてマットを一周し、おまけに後方宙返り。おなじみの勝利の儀式だ。

 昨年の世界選手権決勝の相手・ネレルとの初戦から、グイグイと押しむような重戦車タックルを連発。スピードよりも「絶対に返されないタックル」で慎重にポイントを重ね、勝ち上がった。「ぶっ倒れてもいいから勝ってこい」と福田富昭団長から直接指令を受けた決勝では、許に鮮やかなフォール勝ち。地元の大声援を黙らせた。

 歴史的敗北が世界女王を進化させた。今年1月のW杯(中国)。無名のバンデュセン(米国)に2度も高速タックルを返された。6年間積み重ねてきた連勝記録は「119」でストップ。悔し涙なら嫌と言うほど流していた。

栄監督と対策を練り、タックルの入り方とタイミング、入った後の処理まで徹底研究。自らの勢いを相手に利用させない新型タックルを完成させた。バンデュセンが準々決勝で負けたために直接のリベンジはならなかったが、あの日と同じ中国で実は結んだ。

 「アテネと比べたらもっともっといろんなものが詰まってた」表彰台で4年前より重く感じた金メダルを両手で持ち、君が代を聴いてまた涙があふれた。

 栄監督の刺激作戦も効果的だった。この日朝の練習場で吉田に突然見せたのは、こっそり北京に持ち込んだ屈辱のW杯銅メダル。勝ってほしい気持ちを涙ぐみながら伝え、「うなずいただけだったけど、分かってくれたと思う」試合会場のマットサイドにも置いた。

 勝ちたい理由はほかにもあった。同じ三重育ちの女子マラソン、野口みずきの無念。そして自身の試合前にはチームメートの伊調千春が目前で金メダルを逃した。「2人の分も、と思いました」

 柔道では谷亮子の連覇が「2」で途切れた。まだ日本にいた9日の夜。名古屋市内で栄監督らと焼き肉を食べている最中に高田裕司専務理事から電話が入り、「3連覇できるのはお前しかいない」と期待を伝えられた。

 「目標はロンドン。4年は長いけど、成し遂げるために頑張りたい」と吉田。スタンドに向かって右腕を突き上げた先には、五輪を3連覇した人類最強の男・カレリン氏(ロシア)がいた。

 ◆吉田 沙保里(よしだ・さおり)1982年10月5日、三重・一志町(現・津市)生まれ。25歳。久居高から中京女大に進学。綜合警備保障所属。元全日本覇者の父・栄勝さんの下で3歳から競技を始める。得意技はタックル。1月のW杯で敗れるまで119連勝。アテネ五輪金メダル。世界選手権、アジア選手権5連覇中、全日本女子選手権は7連覇中。156センチ、55キロ。家族は両親と兄2人。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 レスリング・フリースタイル女子48キロ級決勝(16日・中国農大体育館) アテネで果たせなかった「姉妹金」を目指すレスリング女子48キロ級の伊調千春(26)=綜合警備保障=は銀メダルに終わった。3回戦でアテネ五輪優勝のメルレニ(ウクライナ)に逆転リベンジしたが、決勝で伏兵に完敗した。完全燃焼で引退を表明した伊調千は来年、元レスリング選手と結婚することが明らかになった。

 ※記事詳細は、駅・コンビニなどで販売している8月17日付けスポーツ報知(一部地域を除く)をご覧ください。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 ソフトボール 中国0―3日本(16日、豊台ソフトボール場) 1次リーグを行い、日本は中国を3―0で破って通算4勝1敗とした。日本は3回2死二、三塁で5番の佐藤理恵(28)=レオパレス21)の3ランで先制。エース上野由紀子(26)=ルネサス高崎=が5安打を浴びながらも、6回を無失点に抑えた。米国は台湾に7―0(5回コールド)で圧勝し5連勝を飾った。

 重苦しい空気を5番の佐藤が振り払った。両軍無得点で迎えた3回2死二、三塁のチャンス。「チームのために、ここで決めなきゃ」と誓って打席にはいると、内角の球を引っ張って右翼スタンドにたたき込んだ。前日の米国戦ではライバルの米国に0―7の5回コールド負け。この日は初回の2死満塁の先制機を生かせず、相手に傾きかけた流れを引き戻し、ベンチは沸き立った。

 斎藤春香監督は「中国戦はヤマ」と、米国戦で温存したエースの上野を先発マウンドへ送った。3回以降は毎回安打を許す不満の内容で試合後はノーコメントだったが、6回無失点の力投。苦戦が続いているが指揮官は「一戦ずつ重圧に勝つのが五輪の勝負。選手はこれからもやってくれると思う」と今後の戦いにも自信を見せていた。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 卓球女子(16日・北京大体育館) 女子団体の敗者復活2回戦で、日本は世界ランク3位の香港を3時間の激闘の末に3―2で破り、銅メダルに王手をかけた。エース福原愛(19)=ANA=がシングルス、平野早矢香(23)=ミキハウス=と組んだダブルスで連勝。最後は平野が世界ランク10位の相手を退けた。17日の3位決定戦は、1次リーグで0―3と完敗した韓国が相手。リベンジマッチで日本初のメダルに挑む。

 愛ちゃんが日本を救った。1番手の福岡春菜(24)=中国電力=がストレート負けし、自身も2ゲームを落とした。嫌な空気の中で迎えた第3ゲーム。「勝たなきゃいけない気持ちが強かったけど、せっかくの五輪だから思い切ってやろう」と開き直った。フォアから放つ“北京用”サーブを積極的に使ってリズムをつかむと、3ゲームを連取して逆転勝ち。会心の勝利に「サーッ」の声が響いた。

 さらに今大会初めて続くダブルスにも出場。「(平野と)2人での練習があまりできなかった」と序盤はリズムに乗れず2ゲームを失ったが、再び福原のサーブで流れをつかみシングルス同様に大逆転勝ち。「愛ちゃんのサーブやコースのひらめきに救われた。励ましてもらっていい形になった」と年上の平野も感謝する活躍ぶりだった。

2―2となった最終戦に平野が勝って日本の勝利が決まると、3人で抱き合い号泣。福原をダブルスで使う戦術がズバリと決まった近藤欽司監督(65)も「選手が頑張ってくれました」と目頭を熱くした。救世主となった福原は「自分のプレー? マルです。花マルまでいかないけど70点くらいかな」。今度はニッコリと笑った。

 実は愛ちゃん、コート外でもファインプレーを見せていた。試合前練習をこれまではチームの3人でしていた。「効率が悪い。誰かに手伝ってもらえないか」と近藤監督から前夜、相談を受けた福原は選手村を駆け回り、得意の中国語で台湾チームと交渉。「お友だち」の黄怡樺に朝駆けつけてもらい、リズムいい練習が結果に結びついた。

 次は悲願の初メダルが懸かる韓国との再戦。「一度負けている相手なんで思い切って戦う。今日の流れをつなげたい」福原がつけた勢いのまま、表彰台へ駆け上がる。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 卓球男子(16日・北京大体育館) 勝てば銀メダル以上が確定した男子は準決勝でドイツに2―3と惜敗。17日の敗者復活2回戦で、3位決定戦進出を懸けてオーストリアと戦うことになった。

 最後は欧州王者のドライブを返すことができず、岸川聖也(21)=スヴェンソン=が力尽きた。勝てば日本卓球界初の五輪メダルに到達した男子団体準決勝。メダルはお預けになったが、ドイツと3時間半もの熱戦を繰り広げた日本にスタンドは「ニッポン」の大歓声。宮崎義仁監督は「よく追い上げた」と胸を張った。

 先にシングルス2つを落とし、絶対絶命で迎えた3戦目。今大会負けなしの水谷隼(19)=スヴェンソン=、岸川組がオフチャロフ、ズース組を3―1で下し、望みをつないだ。4戦目に再登場した韓陽(29)=東京アート=は0―2と追いつめられながら、第3、4ゲームを取り返し、執念の逆転勝ち。勝負は5戦目の岸川とボルのシングルスまでもつれた。

 ドイツの3人は、水谷が6月まで所属したブンデスリーガ・デュッセルドルフのチームメート。岸川はエースのボルから第2、4ゲームを奪い、最終ゲームまで食い下がった。「負けそうなところを最後までつないだのは、次につながる」と岸川は手応えを口にした。

 福原ら女子の陰に隠れる男子だが、ドイツ人の名コーチ、マリオ・アミジッチ氏の勧めで水谷は中2、岸川は中3からドイツに留学した。“育ての親”に敗れ、悲願のメダルまであと2勝に遠のいたが「誰にも勝つチャンスがある」と岸川が言えば、水谷も「必ず銅メダルを持って帰りたい」。もう一度、最後の力を振り絞る。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 ホッケー(16日・五輪公園ホッケー場) ホッケー女子1次リーグB組の日本は、第4戦で英国と対戦し、1―2で敗戦。1勝2敗1分けの勝ち点4で、各組上位2チームによる準決勝進出の可能性が消え、順位決定戦に回ることになった。0―1で迎えた後半、FB三浦恵子(33)=ソニー一宮=のゴールで同点に追いついたが、終了間際に無情の決勝ゴールを喫した。18日は、アテネ五輪金メダルのドイツと1次リーグ最終戦を戦う。

 さくらジャパンのメダルへの挑戦が終わった。残り時間1分を切り相手にペナルティーコーナー(PC)が与えられると、サインプレーに翻ろうされ残り20秒でまさかの失点。メダルの可能性が消え、選手たちはがっくりとひざから崩れ落ちた。

 相手のスティックが顔に当たるアクシデントにもめげずに奮闘したFW千葉香織(27)=ソニー一宮=も悪夢のような結末に号泣。「勝つことしか考えていなかった。メダルを本当に取りたかった」と震える声で話した。同点ゴールの三浦は「とにかく残念」とうなだれるばかりだ。

 恩田昌史監督(69)は「最後のPCはミスジャッジ。後味が悪い」と不満顔だが結果は変わるはずもない。「少しでも順位を上げたい」と千葉。アテネの8位を超え、意地を見せるしかない。

参照元:スポーツ報知

 ◆北京五輪 バレーボール(16日、首都体育館) 植田ジャパン、終戦―。男子1次リーグの第4戦を行い、4大会ぶりに出場した世界ランク11位の日本は、同20位のベネズエラに23―25、21―25、23―25でストレート負け。4連敗で準々決勝進出を逃した。ベネズエラ戦は6連敗。メダルへの道は閉ざされたが、最後は16年ぶりの五輪勝利を目指し、18日に世界ランク3位の米国に挑む。

 4大会ぶりの五輪切符をつかみ、称賛を浴びたチームから輝きは消えていた。最後は日本のブロックがアウト。世界ランク格下のベネズエラに敗れ、悪夢の4連敗。16年ぶりの白星は遠のき、最終戦を待たずに準々決勝進出の可能性が消滅した。

 7月にワールドリーグに出るなど時間を取られ、北京に入ってからも練習時間の度重なる変更に悩んだ。植田辰哉監督は繰り返し「強みであるサーブが機能していない」と敗因を挙げたが、最後まで修正できなかった。14日に勝利を計算していたはずの中国戦を落とし、悪い流れを止められなかった。最後に戦う米国には最近13連敗と圧倒されている。1勝も挙げられず、このままコートから去るのか。メダルには届かなくても、北京で奇跡を起こしたい。

参照元:スポーツ報知

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