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 男子プロゴルフの中嶋常幸(53)=フリー=が4日、用具使用契約を結ぶSRIスポーツが都内で行った新製品展示会でトークショーに臨み、石川遼(16)=杉並学院高1年=に対してプロ転向時期を慎重に考えるように助言した。

 中嶋はこれまで「(自身の)日本タイトル7冠を超えられるのは遼だけ」と話し、日本アマを制してからのプロ入りを勧めてきた。それでも石川が来季早々のプロ転向の意向を示しているため、その意思を尊重する姿勢も見せたが、あくまでも熟考を求めた。「流れや“なんとなく”では決めてほしくない」複雑な親心を見せていた。

参照元:スポーツ報知

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K―1ワールドGP決勝トーナメント(8日・横浜アリーナ)に出場するピーター・アーツ(37)=オランダ=が4日、大みそかの「K―1 Dynamite!」(京セラドーム大阪)でバダ・ハリ(22)=モロッコ=と総合格闘技戦を行う考えを明かした。

 もちろん、初戦で沢屋敷純一と対戦するGP決勝トーナメントに照準を合わせているが「オファーがあれば大みそかに出て、バダ・ハリと総合でやってもいい。ジョークじゃないよ。うまくいけばチョークスリーパーが決まるかもしれない」と話した。05年7月6日にはHERO’Sで総合デビューし、若翔洋に1回TKO勝ち。バダとは順当ならトーナメント準決勝で当たるが、大みそかに取っ組み合いで再びまみえるかもしれない。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪予選兼野球アジア選手権第3戦 台湾2―10日本(3日、台中・洲際野球場) 星野監督が台湾の夜空に3度舞った。北京五輪切符をかけたアジア予選の台湾戦は初回に新井の左前適時打で先制したものの、6回に先発のダルビッシュが逆転2ランを浴びる苦しい展開。しかし直後の7回、打線がつながり打者12人の猛攻で一挙6点の大逆転。8回からは藤川、上原の球児―浩治リレーで締めくくった。ナインに胴上げされ、歓喜の涙で目を潤ませた星野監督。来年8月、金メダル獲得に向けた新たな戦いがスタートする。

 声にならない叫びだった。潘武雄の打球をキャッチした川崎が二塁を踏み、一塁へ。併殺が決まると、星野監督が我を忘れたかのように雄たけびを上げた。田淵ヘッド、山本、大野両コーチと固い握手を交わすと、一塁ベンチを出た。目が潤み、選手の姿がぼやけてきた。歓喜の輪に加わると、24人の日の丸戦士に押し出されるように台湾の夜空に3度舞った。「日本の野球の底力を選手が見せてくれた。選手が頼もしかった。本当に…」泣いた。闘将が泣いた。一気の3連勝。五輪出場権を手にした感激で声が震えた。

 これが星野野球の真骨頂だ。王手をかけた台湾戦。投打で“らしさ”を発揮した。陳金鋒の一発で逆転を許した直後の7回。指揮官が掲げた「超スモールベースボール」がさく裂。5単打に大村のスクイズを絡め、6点を奪った。「次から次へといい形ができた。スクイズはひらめきや」怒とうの攻撃で逆転するとダルビッシュをもう1イニングだけ投げさせ、藤川から上原へ。鉄壁のリレーで台湾の戦闘意欲をつみ取った。

 宮崎合宿中には「そろそろ死刑台が近づいてきたな」とポツリ漏らした。本番が近づくにつれ、増してきた「日の丸」の重みで押しつぶされそうになった。極めつけは前夜の韓国戦だった。「逃げ出したかった。監督をやりたくないと思った。(敗れて)来年3月になったらどうしようかと思っていた」極限まで追いつめられた闘将を救ったのが、先発で起用した涌井、成瀬、ダルビッシュという3人の「若い力」だった。

 川上や渡辺俊を先発で起用する意見もあったが、最後は自ら決断。チーム宿舎の監督室に3人を呼び、強い口調で切り出した。「涌井、お前は切り込み隊長。成瀬は2戦目。ダルビッシュはオレを胴上げする試合や」若い3人にすべてを託したのは、来年の北京五輪を見据えてのもの。2012年のロンドン五輪で野球が競技種目から除外されても、球界を背負う存在に変わりない。そのことは指揮官が一番知っていた。

 「何百試合、何千試合と戦ってきたけど、韓国戦のような試合は初めて。今回は3試合だけど、5試合やったら死んでるわ」中日と阪神で3度の優勝。通算919勝(789敗33分)を挙げた名将でも経験がなかった3番勝負だった。そのすべてに勝ち、来年は北京五輪で、最初で最後の金メダル取りに挑む。「胴上げはまだまだ。北京じゃないと。またイバラの道が始まるな」安心は一瞬だけ。ひとつの山場を越えた星野監督が、全身全霊を傾け、来夏に北京へ乗り込む。

 日本代表・星野仙一監督「金メダル? 選手のメンバーが来年もけがなく成績を残せればね。終わってみれば、みんな当たり前に(結果を)受け(止め)るだろうけれど、昨日はこんな底力があるのかと思うくらい(投手陣が)いい投球してくれたから。日本にいる皆さんをハラハラドキドキさせてしまったけど、感動してくれたかな」

参照元:スポーツ報知

“第2次岡田内閣”からU―22(22歳以下)日本代表監督を兼任する反町康治コーチ(43)が外れることが3日、分かった。この日、日本サッカー協会は東京・文京区のJFAハウスで常務理事会を行い、脳梗塞(こうそく)で入院中の日本代表イビチャ・オシム監督(66)に代わり、岡田武史新監督(51)の就任を承認。日本協会では岡田監督に対してコーチ人事、選手選考など具体的作業の開始を要請。早速、新指揮官と小野剛技術委員長(45)は極秘会談を行い、反町コーチをU―22代表強化に専念することなどを確認した。

 岡田新監督が早くも動いた。「日本サッカーの危機的状況なので、覚悟して取り組みたい」この日、行われた日本協会常務理事会で、小野技術委員長が岡田監督の受諾の言葉を報告すると、満場一致で承認された。その約6時間後、岡田監督と小野委員長は神奈川県内で極秘会談を持ち、今後の日本代表の強化について綿密な話し合いを行った。

 関係者の話を総合すると、チームづくりの基盤となるコーチ人事について意見を交換。来年、A代表と五輪代表の活動が重複する期間が長くなるため、反町コーチはA代表から外し、五輪代表の強化に専念させA代表でも戦える選手を送り込むことで、岡田ジャパンを支援させることを決めた。そのほか、コーチ陣は基本的にオシム監督体制が継続される見込み。大熊清コーチ(43)、加藤好男GKコーチ(50)が岡田監督を支える。小倉勉コーチ(41)だけは去就が未定。

 手続き上、今週中に予定されている契約締結をもって正式就任となるが、この日の常務理事会で承認され実質的に岡田ジャパンはスタートした。現在、協会特任理事を務める岡田監督は、7日の理事会に出席し“所信表明”を行う予定。18日には代表候補合宿が行われる見込みだ。

 2010年南アフリカW杯アジア3次予選初戦、タイ戦(来年2月6日)まで、わずか2か月。「すぐにでも動いてもらわなければならない」と日本協会の田嶋幸三専務理事(50)は“極秘会談”を行った新指揮官の行動を肯定した。岡田ジャパンはひそかに走り出した。

参照元:スポーツ報知

リーグ連覇を果たせなかった浦和が、来季の覇権奪回の切り札として大分のU―22日本代表MF梅崎司(20)を完全移籍で獲得することが3日、明らかになった。

 梅崎に近い関係者によると、梅崎はこの日、正式オファーを出していた浦和幹部と極秘交渉を持ち、席上、大筋合意に達した。来季へ浦和の日本人移籍第1号が決まり、移籍金は推定1億円で、複数年契約となる見込みだ。

 梅崎は今年6月、期限付き移籍先のフランス2部、グルノーブルから大分に復帰。リーグ戦19試合出場、2得点と奮闘し、大分のJ1残留に大きく貢献した。北京五輪出場権を獲得した反町ジャパンのエース候補生は、赤い悪魔にとっては緊急補強ポイントだった。エースMFポンテが右ひざ前十字じん帯断裂で全治6か月と診断されたため、高速のドリブル突破を武器とする同タイプの梅崎の来季加入は朗報となる。

 すでに浦和は、今季Jリーグ19得点を叩き出した新潟FWエジミウソンと仮契約を済ませている。ザルツブルクに期限付きで移籍していた三都主アレサンドロの復帰も決まっており、F東京の日本代表MF今野泰幸(24)に対しても、近日中に獲得の正式オファーを出す予定。衝撃のV逸から、アジア王者が来季の逆襲に着々と準備を整えている。

 ◆梅崎 司(うめさき・つかさ)1987年2月23日、長崎・諫早市生まれ。20歳。大分ユースから大分トップチームに昇格。2005年7月10日に広島戦でプロデビュー。フル代表は06年9月の中東遠征で初招集、初出場。07年1月にフランス2部、グルノーブルにレンタル移籍。5試合に出場し、得点は0。6月に大分に復帰。今季はU―22日本代表にも招集された。J通算47試合出場、5得点。167センチ、64キロ。血液型O。

参照元:スポーツ報知

フィギュアスケートのGPファイナル(14、15日・トリノ)に出場する高橋大輔(21)=関大=と中野友加里(22)=早大=が3日、横浜市内で会見。高橋は、フリーで2本の4回転ジャンプを跳ぶことを宣言した。

 今季は4回転と4回転―2回転を跳ぶプログラムだが、公式戦ではまだ挑戦していない。2日のNHK杯では1つに減らして転倒。「何回も練習して挑戦したい。3位、2位と来てるので、パーフェクトな演技で優勝したい」と日本男子初優勝を目標に掲げた。05年3位の中野は「根性でトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳びたい。最年長でも若さに負けない」と意欲満々。浅田真央(17)=中京大中京高=は米国で練習中のため欠席した。日本連盟では、GPファイナルの最上位メダリストを来年3月の世界選手権(イエテボリ)代表として推薦する。

参照元:スポーツ報知

4か月の謹慎処分が解け、冬巡業に参加している横綱・朝青龍(27)=高砂=が3日、“みそぎの一日”を送った。福岡・柳川市巡業で、第10代横綱・雲竜とゆかりのある三柱神社で雲竜型の土俵入りを披露した。さらにけいこでは、再始動2日目にして申し合いを開始し、横綱としては異例のちびっこ力士とのけいこにも登場。一連の騒動で失った信頼を取り戻すため、ファンサービスに汗を流した。

 “ヒール横綱”の汚名を返上しようと、朝青龍が大忙しの一日を送った。まずは三柱神社での土俵入り。太刀持ちに地元出身の小結・琴奨菊、露払いに幕内・高見盛を従え登場すると1000人近いファンから「よいしょー」と大きなかけ声が送られた。

 同神社は、柳川市出身で雲竜型の土俵入りを生み出したと言われている、横綱・雲竜ゆかりの神社。だが、05年6月の放火により拝殿などが焼失し現在、復興へ募金を行っている。その活動に一肌脱ぎ「自分も雲竜型だしすごい場所だと思ったよ」と感慨深げだった。

 急ぎ足でけいこ場へ向かうと、謹慎後初めての申し合い。幕内・稀勢の里らと15番取って13勝2敗。「まだ5割程度。立ち合いが三段目だよ」とけんそんしながらも、琴奨菊には必殺のつり落としを見舞うなど、怖い朝青龍も復活気配だ。

 最大のサプライズは、ちびっこ力士とのけいこ。横綱の登場は異例だが、巡業部の要請を快諾し、土俵を駆け回って子供から逃げるふりをするなど、会場を盛り上げた。「子供は一番の熱心なファン。かわいいよ」夏巡業を休場しながらモンゴルでサッカーに興じてファンを裏切っただけに、イメージアップへ必死。横綱にぶつかった沖俊介くん(6つ)が「大きかった。うれしいです」と話すように、作戦は成功したようだ。

 冬巡業は4日の熊本・天草巡業で終了。「思ったより体が動いた。あしたは十両のけいこも見たいな」朝青龍のイメージはどこまで回復するだろうか。

 ◆雲竜 久吉 (うんりゅう・ひさきち) 第10代横綱。1823年(文政6年)、筑後国山門郡大和村(現福岡・柳川市)に生まれる。大阪相撲から江戸に出て1861年に横綱免許。幕内通算成績は127勝32敗15分け5預。優勝相当成績は7回。179センチ、135キロとされている。土俵入りでせり上がりのときに左手の先を脇腹に当て、右手をやや斜め前方に差し伸べる「雲竜型」は雲竜の型を踏襲するものといわれる。

 ◆横綱が琴奨菊狙い撃ち 柳川市出身のご当所力士が“狙い撃ち”された。申し合いで朝青龍と4番、白鵬と連続して8番取ったが全敗。さらに、白鵬とのぶつかりげいこでもボロボロになった。満員に近い3500人のファンからの大声援に「ご当所なので覚悟はしてました。ランナーズハイじゃないけど、そのうちやってもやっても息が切れなくなりましたよ」と苦笑していた。

参照元:スポーツ報知

遼クン、お先に! 今年の世界ジュニア日本代表の前粟蔵(まえあわくら)俊太(17)=鹿島学園高2年=がプロ転向したことが3日、分かった。日本ゴルフツアー機構に届け出たもので、近日中に会見する。ライバルで来春にもプロ転向の可能性がある石川より一足早く道を歩む。

 前粟蔵は来季男子ツアーの出場権をかけた最終予選会で予選落ち。だがこの日、父・始さんと予選会会場の茨城・セントラルGCを訪れ、プロ転向の手続きを行った。来季の出場は主催者推薦による最大6試合しかないが、下部ツアーのチャレンジツアーには今季実績で3試合に出場できる。

 日本男子ツアーでの高校生プロは10月にプロ転向した小鯛竜也(17)=クラーク記念国際高3年=に次ぎ2人目。小鯛は来年4月の開幕時には高校を卒業しているため、実質的には前粟蔵が初の“高校生プロ”となる。

 ◆前粟蔵 俊太(まえあわくら・しゅんた)1990年4月16日、沖縄・石垣市生まれ。17歳。6歳からゴルフを始め04、05年の日本ジュニア12~14歳の部優勝。今春の高校選手権でも優勝し、7月の世界ジュニアでは石川(23位)を上回る19位に入った。得意クラブはドライバー。175センチ、70キロ。

参照元:スポーツ報知

遼クン4冠だ―。5月に 15歳の史上最年少で男子プロゴルフツアー大会を制した石川遼(16)=杉並学院高1年=が3日、都内で行われた今年の新語・流行語大賞の授賞式に出席。宮崎県の東国原英夫知事の「どげんかせんといかん」と並んで「ハニカミ王子」で流行語大賞を受賞した。この日は、日本ゴルフツアー機構(JGTO)の年間表彰式にもアマチュアとして初めて出席し、ゴルフ記者賞、特別賞、MIP賞の3賞を獲得。華々しかったプロツアーでの1年を締めくくった。

 各界から集まった有名人とともに壇上に上がった表情は、晴れやかだった。紺のジャケットにジーンズ姿で表彰式に臨んだ石川は、「毎年テレビで楽しみにしていた賞を自分が頂けるなんて思っていなかった。一生の宝物です」と、ハニカミ王子らしく、恥ずかしそうに笑った。

 初めて参加したプロツアー、5月のマンシングウェアKSBカップで史上最年少15歳245日で優勝。そのとき見せた笑顔に中継局のアナウンサーが「ハニカミ王子」と名付けて以来、石川遼という名前を知らない人でも「ハニカミ王子」と言えば、彼を連想するほどこの1年“二人三脚”で歩んでいた思い出の言葉。それだけに「一生懸命ゴルフに取り組んできてよかった」と喜んだ。

 2006年夏、高校野球甲子園大会で青いハンカチを手に早実を優勝に導いた斎藤佑樹(現早大1年)で始まった“王子旋風”。その後を追うように石川も“王子”ブームに乗った。これまで観客がほとんど入らなかったアマチュアの大会までも何千人もの観客が埋め尽くし、彼の1打1打に酔いしれた。

 一方で苦しい思いもした。「やっと東京の路線を覚えたところだった」が、自宅のある埼玉から杉並学院高までの通学も周囲からの視線の怖さに電車に乗れなくなり、今では父・勝美さん(51)がすべて送り迎え。家族との買い物も車の中で待機。それでも「隣に止まった車の人が、自分を見ているように感じてしまう」と環境が一変してしまった。

 しかし優勝後、プロツアーに7試合出場。これまでアマチュアに出場資格がなかったゴルフ日本シリーズJTカップ(報知新聞社主催)も規約が改定され、初めて参加。24位に入るなど多くの財産を手にし、プロへの準備は整いつつある。この日は、制服姿でJGTOの年間表彰式にも出席し、アマチュアとして初めて表彰される快挙を達成。しかも3つのタイトルを手にし「1つも取れないのが当たり前。自分にとってはかなり大きな賞」と感慨深げだった。

 「来年はバーディー率(1試合当たりの平均バーディー数)が高い選手になりたい」と、バーディー率賞奪取に意欲をみせた。生活が大きく変わった今年1年。08年はすでに16試合程度に出場する意向が固まっている。プロへの階段を駆け上がり、“ハニカミブーム”第2幕が始まる。

 ◆“兄貴”転向に「ビックリ」 前粟蔵のプロ転向を知人を通じ聞いた石川は、「びっくりしました」と驚きを隠せなかった。7月の世界ジュニア選手権で一緒に代表に選ばれたこともあり「面白くて大好き」と、石川にとっては兄貴的存在。それだけに、「プロの試合で一緒に回れたら、また違った楽しみになると思います」と、同じ10代のプロの誕生を心から喜んでいた。

参照元:スポーツ報知

女子ゴルフの最新世界ランキングが4日に発表され、日本勢の最高は上田桃子で前週と同じ13位だった。宮里藍は17位、横峯さくらが18位で続いた。大山志保は順位を1つ下げて20位。

 1位のロレーナ・オチョア(メキシコ)、2位のカリー・ウェブ(オーストラリア)、3位のアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)ら上位に変動はなし。

参照元:スポーツ報知

関東学院大ラグビー部員の大麻事件で、起訴された元部員2人以外に12人の部員が大麻吸引を認めたことに関し、管轄する関東ラグビー協会は4日、大学側から同日午前までに正式な報告が届いていないことを明らかにした。春口広監督とは連絡が取れない状況という。

 同協会の志賀英一会長は「事実関係を掌握した上で、緊急理事会を開いて対処する」と話し、大学側の連絡を待つ姿勢を強調した。

参照元:スポーツ報知

ヤンキースの松井秀喜外野手(33)が2日、雑誌の企画でソフトバンク・王貞治監督(67)、野球評論家の金田正一氏(74)と都内のホテルで鼎(てい)談した。松井は前回以来、1年ぶりに会った王監督に、手術した右ひざの状態などを報告、激励を受けた。

 松井秀は術後の患部の回復具合に手応えを感じており、約2時間の会談の中で「来春のキャンプからやれます」と来季への強い意気込みを王監督に伝えたという。王監督も「ひざの方も順調だと言っていた。すっきりしているみたいだったよ」とメジャー6年目のシーズンに期待を寄せた。

 08年はジラルディ新監督で迎えるが、松井秀は王監督から「(ヤンキースの)監督が代わったりしたけど、やることは一緒。お互い頑張ろう」とエールを受けた。今後は年明けから予定される本格的なトレーニングに向け、リハビリを続ける。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪予選兼野球アジア選手権第2戦 韓国3―4日本(2日、台中・洲際野球場) 気持ちが技術を超えた。阿部は右手の指先にバットを絡めた。わずか1点リードの8回先頭で、左腕・柳沢鉉が3球続けてきた、外角ぎりぎりの緩いカーブをすくった。打球が右中間寄りに弾むと、迷いなく二塁に突進した。勝負を決める足がかりを作り、代走が送られベンチに下がると、チームメートに向かって「よっしゃ!」と大声で叫んだ。

 どこに投げても打ってみせる。強い魂を胸に持って、バットを振り続けた。3回2死二塁で左前適時打を放つと、5回2死でも左前安打。1日のフィリピン戦が4打数4安打、2試合で8打数7安打2打点と、もう止まらない。「何本打ったとかどうでもいい。8回はそれまで点が入らなくて、先頭打者だったし何とか塁に出ようと。もう気持ちだけ。今までやってきたことも間違いじゃなかった」何度もうなずいた。

 大一番を直前に控え、真っ赤な顔で心境を口にした。「今日負けたら、この大会は終わり。負けたら日本には帰れない。1球で勝負も決まるし、ピッチャーには大きなジェスチャーで『低く!』って言わなくちゃ。打つ方? でかいのは絶対にいらない。自分で決めようなんて思わないで、汚くてもいいからつなぐ。これまでの過程なんてどうでもいい。結果だけが欲しい」試合前に話した通りの執念を見せた。たった1つの凡打だった2回無死二塁でも、外角のボールを何とか緩いゴロにして二塁走者を三進させ、先制点をアシスト。無駄な打席はひとつもなかった。

 ベンチに退いても動き回った。すぐに一塁側ブルペンに走り、守護神・上原の投球を受けた。試合終了もブルペンで見届けた。勝利の瞬間はフェンス越しにファンに向かって両手を上げた。五輪切符は手の届くところまで来たが、油断はできない。3日の台湾戦に勝たなくては目の前の切符はつかめない。「今日は今日。明日勝たないと意味がない。気持ちを切り替えて、勝ちたい」あと1勝。今の慎之助は、誰にも止められない。

参照元:スポーツ報知

日本サッカー協会は3日、常務理事会で岡田武史氏の日本代表監督の就任を満場一致で決定した。

参照元:スポーツ報知

メキシコのアマチュアボクシング大会「ゴールデン・グローブ」に参戦中の亀田兄弟の三男・和毅(16)が、試練の試合を突破した。1日(日本時間2日)、三者三様の引き分けながら敗者扱いとなった11月15日のバンタム級(54キロ以下、2分3回戦)準決勝の再戦に臨み、今度はアルマンド・ガリバイ(16)に3―0の判定で完勝。15日の決勝戦進出を決めた。

 ただ、決勝の相手はKO率5割以上で“メキシコの最終兵器”と言われるレイ・バルガス(16)。180センチの長身から打ち下ろす右の強打が武器で、ビデオを見た兄弟の父・史郎氏(42)が「ヤバイ、アカンわ。これ、0―10で和毅、負けるわ。決勝までいけたんやからええ経験になる」と強気発言を封印したほどだ。

 決勝戦には亀田家総出で応援に行く予定で、和毅も発奮。「最後やからな、大暴れするで。大爆発や。メキシコと日本の最終兵器同士の最終決戦や」と気合を入れた。決勝戦では、メキシコ審判連盟のサンドバル会長の指示で、機械による自動採点システムの導入も検討されているという。

参照元:スポーツ報知

◆男子プロゴルフツアー今季最終戦 報知新聞社主催日本シリーズJTカップ最終日(2日、東京よみうりCC=7016ヤード、パー70) 石川遼(16)=杉並学院高1年=が今季のプロツアー最終戦を終え、来春にもプロに転向する可能性を示唆した。18番で出場選手唯一のバーディーを決めるなど3バーディー、4ボギーの71で回り、アマとして初出場した大会の歴史的第一歩は通算7オーバー24位。5月にツアー史上最年少優勝を果たし、社会現象を呼んだ激動のシーズンが幕を閉じた。コースレコード61をマークしたブレンダン・ジョーンズ(33)=キャロウェイゴルフ=が通算11アンダーで大逆転、大会初制覇を飾った。

 宣言通りだった。最終18番パー3。石川は、9288人の大観衆が取り囲むグリーンを狙い、3アイアンを振り切った。ボールはピン右奥3メートルへ1オン。「下りのフック。タッチもラインもぴったりだった」これをねじ込み、何度もガッツポーズを繰り出した。

 練習日に「最終日最終ホールをバーディーで終えられたら最高」と夢を語っていた。しかも直前の17番パー5でピン右約3メートルに2オンしながら、まさかの3パット。その悔しさを払しょくしたうえ、出場選手唯一のバーディー。興奮が抑えきれず、ボールをギャラリーへ投げ入れて拍手と歓声に酔いしれた。

 大会前、「頑張ればトップ10に行けるかも」と話していた。最近10年で最多の4日間合計2万35人を動員する人気を示したが、現実は26人中24位。それでも、1年間の優勝者と賞金ランク25位までのトッププロしか出場できない大舞台に、歴史を塗り替えてアマとして初出場した事実は動かしようがない。

 激動の1年だった。埼玉・松伏二中3年生だった昨年12月は、進路に悩んでいた。一度は地元の県立高校への進学を決断。しかし杉並学院高ゴルフ部の吉岡徹治監督(45)と何度も話をする中で「遼はプロの試合を見るのが大切」と助言され、気持ちが一転した。「そういう縁がなかったら、あの優勝(15歳254日の史上最年少で制した5月のマンシングウェアKSBカップ)はなかった」と恩師に感謝。そこから一気に階段を駆け上がってきた。

 そして、もうすぐ08年がやって来る。父・勝美さん(51)は「春先からどんどん出ます。できれば年間16試合は出たい」とキッパリ。石川は「再来年もまだジュニアかも」と話す一方、「ここで一生懸命やらないといけないと思います。プロになりたい気持ちは強い。客観的に見えるようになったら家族で相談したい」。早ければ来季開幕をプロで迎える可能性も高まってきた。

 自信もついた。ショットは4日間安定。父に「プロでも通用する」と太鼓判を押されて「後押しになった」と話し、一歩を踏み出す気持ちを強めた。ただ、アマゴルフ界への恩は忘れていない。「ジュニア時代にお世話になった人たちにあいさつしてからプロになりたい」と付け加えた。

 「密度の濃い1年だった。来シーズンが楽しみ。早く来年になってほしい」もう、気持ちは切り替わっている。貴重な経験を糧に、08年はさらなる飛躍の年にする。

 ◆石川の今後 3日は日本ゴルフツアー機構の年間表彰式に出席し、9日はジュニアの大会に出場。15、16日にはマンシングウェアKSBカップの開催コース、岡山・東児が丘マリンヒルズGCに出向き、優勝時に使ったウエアやクラブを寄贈する。その後は冬休みなどを利用してスキークロスカントリーなどで課題の体力アップを図り、来年2月に全英オープン豪州予選、米ハワイの地域大会、パールオープンに出場して08年開幕へ備える。

参照元:スポーツ報知

大相撲の冬巡業から土俵に復帰した横綱・朝青龍が3日、巡業地の福岡県柳川市の三柱(みはしら)神社で奉納土俵入りを行い、約1000人の観衆が見守る中、雲竜型の土俵入りを力強く披露した。地元出身の小結・琴奨菊が太刀持ちを務めた。

 三柱神社は、雲竜型の創始者とされ、同市出身の第10代横綱・雲龍が奉納土俵入りしたと伝えられている。

参照元:スポーツ報知

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