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◆北京五輪 バレーボール(19日、首都体育館) 女子準々決勝で、1次リーグA組4位の日本は、B組1位で世界ランキングトップのブラジルにストレート負け。4強の壁は破れず、前回のアテネ大会に続く5位となった。日本はサーブレシーブが乱れて第1セットを簡単に落とすと、第2、第3セットでも相手のパワーに対抗できずに完敗。1984年ロサンゼルス大会の銅以来となるメダル獲得はならず、アテネに続いて指揮を執った柳本晶一監督(57)は退任を示唆した。

 涙も出ないほどの完敗だった。ブラジル選手の強烈なスパイクが日本コートに突き刺さりゲームセット。柳本監督は一人ひとり握手を交わしたが、その手に力はなかった。「終わってしまったんだな、という気持ち。世界のトップは本当に厳しい。すべてにおいて足りなかった」司令塔の竹下は突きつけられた現実を静かに受け入れた。

 格上との戦いで最も大事にしたかった第1セット。日本のサーブレシーブが乱れ、序盤に8連続失点を喫した。「すごくボールが落ちてサーブカットが崩れてコンビプレーが使えなかった」と木村。柳本監督は新ボールの影響も「多少あるかもしれない」としたが、激しいボールの変化に日本のプランも大きく狂わされた。

 第2セットはエース栗原の強打などで粘りを見せ、1点差まで追い上げたもののとらえることはできず。「これが今の実力」と栗原。第3セットも終盤に7連続失点を喫するなど、地力の差を見せつけられた。結果は4年前と同じ5位。「トップとの差は確実に縮まっている」と指揮官は話したが、縮めた分以上に残っている差は大きいようだ。

 目標のメダルを逃し、柳本監督は試合後「一区切りという気持ち。(今後のことは)落ち着いて考えたい」と退任を示唆した。アテネから4年、またも痛感した世界の壁。日本バレー界全体で取り組まなければ、4年後もメダル奪回の日は訪れないだろう。

参照元:スポーツ報知

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関西オープンは21日から滋賀県の滋賀GC(7080ヤード、パー72)で4日間、開催される。石川遼(16)=パナソニック=が19日、練習ラウンドを行い、日本オープン出場権ゲットに意欲を燃やした。

 滋賀での大会は「全国中学校ゴルフ選手権 春季大会」に3度出場し、中3時には優勝するなどすべてトップ3入り。「成績が悪いほうに行く場所ではない。それを味方にして怖がらずに攻めたい」例年、同大会の上位10人程度には10月の日本オープン出場権が与えられる(出場人数は9月2日に決定)ため、出場権を持っていない石川にとってはチャンス。「全ホールバーディーを狙うイメージで、自信を持って戦いたい」と語った。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 レスリング(19日・中国農大体育館) 男子フリー55キロ級で、松永共広(28)=綜合警備保障=が銀メダルを獲得した。決勝ではセジュード(米国)に敗れたものの、03、05年世界王者のマンスロフ(ウズベキスタン)、現世界王者のクドゥホフ(ロシア)を破っての価値あるメダルだ。また、同60キロ級では五輪初出場の湯元健一(23)=日体大助手=が銅メダルを獲得。男子では88年ソウルの小林孝至、佐藤満以来となる金メダルは逃したが、14大会連続のメダルで伝統を守った。

 右腕を大きく突き上げ、雄たけびを上げた。3位決定戦。湯元が快勝でメダルをつかみ取り、松永に続いた。「攻め続けることができた」軽量級ニッポンの強さを示したイケメンの立役者が、表彰台で胸を張った。

 第1ピリオドを1―0で先取すると、第2ピリオドも積極的なスタイルを貫いた。リードを奪ってもタックルを狙い、攻めた。1分23秒、低い姿勢で鋭く飛び込むと相手の左足をつかみ、アンクルホールド。得意技で体を返し、決定的なポイントを加えた。

 感動のまなざしに、心強い“分身”の姿が浮かんだ。ともに9歳からレスリングを始めた双子の弟・進一だ。55キロ級の全日本王者はスパーリングパートナーとして健一をサポート。マットに上がる直前に「お前なら絶対に勝てる」と勇気づけ、「アンクルホールド」の助言もしていた。「あいつの言葉がなかったら最後に取れたかどうか」2人でつかんだメダルだ。

 フリー60キロ級は、04年アテネ五輪で井上謙二(自衛隊)が銅メダル、06年世界選手権でも高塚紀行(日大コーチ)が3位で表彰台に立った日本の看板階級だ。代表選考レースにはプロ格闘家の山本KID徳郁まで参戦。超激戦区で代表になった以上、しのぎを削ったライバルのためにも「メダルを取らないとならない階級だった」。3回戦で競り勝ったドゥット(インド)は、3月のアジア選手権で高塚の五輪切符獲得を阻んだ因縁の相手。「強くなったのは高塚のおかげ。あいつに負けて、勝つために練習して成長した」という湯元は、敵討ちも果たした。

 昨年の世界選手権は、初戦敗退。「カウンターを恐れず先に仕掛けるレスリング」を追求してきた。だが、まだ上がある。「金メダルが欲しいけど、銅が今の実力だと思う。ここは通過点。ロンドンで金メダルを取る」世界最強ツインズへ、戦いは続く。

 ◆湯元 健一(ゆもと・けんいち)1984年12月4日、和歌山市生まれ。23歳。日体大助手。9歳からレスリングを始め、和歌山工高では2002年の高校選抜、インターハイと2冠。日体大に進学し05年に全日本選抜で初優勝。世界選手権13位。同年の全日本選手権も初V。07年の世界選手権は初戦敗退した。165センチ、60キロ。家族は両親と双子の弟。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 レスリング(19日・中国農大体育館) 男子フリー55キロ級で、松永共広(28)=綜合警備保障=が銀メダルを獲得した。決勝ではセジュード(米国)に敗れたものの、03、05年世界王者のマンスロフ(ウズベキスタン)、現世界王者のクドゥホフ(ロシア)を破っての価値あるメダルだ。また、同60キロ級では五輪初出場の湯元健一(23)=日体大助手=が銅メダルを獲得。男子では88年ソウルの小林孝至、佐藤満以来となる金メダルは逃したが、14大会連続のメダルで伝統を守った。

 笑顔なき表彰台。そのクールな表情には、派手な金色より渋い銀色の方が似合っていたかもしれない。「悔しい気持ちもあるけど、やっと取れた。自分の中ではよしとしたい」軽量級エースの使命を果たして、心の中はさっぱりしていた。

 分厚い壁を破って到達した決勝。松永に残っていた力はわずかだった。セジュードに体をひっくり返された第1ピリオドに続き、第2ピリオドも両足タックルで体を持っていかれ、マットにひれ伏した。実績では上の松永でも、それまでの道のりがあまりに過酷すぎた。

 歴史に残る戦いと言っていい。1、2回戦を圧勝突破すると、3回戦の相手は03、05年世界王者のマンスロフ。昨年の世界選手権でも初戦負けするなど過去3戦全敗だった。「マンスロフに勝つことがメダルへの道」と信じてやってきた。

 第3ピリオド、タックルを切られてバックに回られたが、1分23秒で両足タックルから同点に。このままでも「ラストポイント」のルールで勝利は決まったが、寝技の攻防からバックを取ってダメ押し。準決勝で立ちはだかった現世界王者のクドゥホフ(ロシア)に対しては、足を取りに来る相手をさばいてポイントを与えず狙っていた返し技からフォール勝ち。「松永さんのレスリングが理想」と言っていた吉田沙保里(25)=綜合警備保障=ら女子メダリストが応援する前で、男の意地を見せた。

 静岡・焼津市の実家は由緒ある浄土宗の常照寺。幼少時から「南無阿弥陀仏」を唱えて育った。これが試合でも動じないポーカーフェースの原点。日体大時代に結果がよくなければ「僧侶になっていたかもしれない」というが、スタンドで応援した住職の父・有宏さん(64)の前では、選んだ道が正しかったことも証明した。

 02年世界学生選手権優勝や05年ヤシャ・ドク国際、ダン・コロフ国際の連続Vなど、国際大会では過去に7個のタイトルを持っていた。念願の舞台で期待に応え、完全燃焼。今後については「続けられないでしょう」と引退を明言し海外コーチ留学の希望を明かした。やっと見せた笑顔の前では、有終のメダルが渋く輝いていた。

 ◆松永 共広(まつなが・ともひろ)1980年6月27日、静岡県焼津市生まれ。28歳。焼津リトルでレスリングを始める。沼津学園(現飛龍)時代は高校10冠に輝き、日体大を経て綜合警備保障に入社。ジュニア時代から活躍し、全日本選手権は4連覇中。世界選手権は05年に5位。3月のアジア選手権を制し、初の五輪代表を決めた。163センチ。

参照元:スポーツ報知

中国の大手ポータルサイト「新浪網」が中国の五輪選手の人気ランキングを行っている。金メダリストが上位に並ぶ中、五輪初出場で予選落ちした無名の女子やり投げ選手、宋丹(18)が有名選手を押しのけて2位に入り、中国紙記者も「なぜ」と首をかしげている。

 宋丹は四川省成都出身。五輪を前に「四川大地震の被災地の人たちに頑張るところを見せたい」と意気込んでいた。

 国家体育場(愛称・鳥の巣)で19日に行われた予選では、宋丹がやりを投げるたびに大歓声が上がったが、国際大会の経験の浅い宋丹は自己ベストにも届かず、唇をかんだ。

 悔しそうな顔をしていた宋丹は、ネット上で人気が急上昇していることを指摘されると「知らなかった。友達が投票したんじゃないかな」と少し笑顔が戻った。しかし獲得票数は約2万1000票。友人の呼び掛けで集まる票数ではない。

 ランク1位は中国で絶大な人気を誇る「飛び込みの女王」郭晶晶で、獲得票数は3万4000票余り。卓球女子の世界ランキング1位の張怡寧は宋丹に次ぐ3位に甘んじている。

 4年前にやり投げを始めてから、みるみるうちに成績が伸びる若手のホープ。サイトには「宋丹を永遠に応援する!」「未来の星だ」と熱い声援が寄せられている。(共同)

参照元:スポーツ報知

新日本の後藤洋央紀(29)が2冠獲得に挑戦する。G1クライマックス初制覇から一夜明けた18日、31日の全日本・両国大会でのIWGPヘビー級王者・武藤敬司(45)=全日本=への挑戦に加え、9月5日の後楽園大会で中邑真輔(28)と組み、IWGPタッグ王座挑戦が決定。賞金1000万円を手に笑顔の後藤は「2冠をもちろん狙う。まずは武藤に勝ってベルトを取り返す」と怪気炎を上げた。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 野球1次リーグ カナダ0―1日本(18日・五カ松球場) がけっ縁の星野JAPANを成瀬が救った。野球日本代表は18日、カナダとの1次リーグ第5戦に1―0で辛勝した。負ければ1次リーグ突破が厳しくなる一戦で、不調の成瀬善久投手(22)が7回2安打、10奪三振の好投。16日の韓国戦で継投を失敗した星野監督は「勝利の方程式」を崩して成瀬を7回まで引っ張り、稲葉のソロによる1点を藤川―上原で守った。日本は3勝2敗とし、涌井が先発する19日の中国戦に勝てば、決勝トーナメント進出が決まる。

 北京の太陽が救世主を照らし出した。成瀬が地獄から生還した。「僕は落ちるところまで落ちた。あとは開き直って、上がるしかないですから」開幕からの不振、球宴での大炎上、キューバ戦で献上した決勝打。試練の果てに至福の時が待っていた。星野監督に求められた握手。復活の証しを右手に感じた。

 絶体絶命の大一番。負ければ1次リーグ敗退が濃厚となる一戦で、昨季16勝1敗の常勝左腕がよみがえった。スピンの利いた直球、鋭く滑るスライダー、絶妙な制球。「投げ間違いがなければ大丈夫だと思った」4回1死二、三塁。唯一のピンチを連続三振で切り抜けると、この回以外は一人の走者も許さなかった。

 重圧を押しのけ、7回2安打無失点。2度の3者連続を含む10三振を奪い、日本五輪史上4人目の2ケタ奪三振をマークした。星野監督は「1点もやれない状況でよく投げてくれた。完ぺきだった」。女房役の里崎も「一番大事な試合で一番いい(去年の)成瀬に戻った」と目を丸くした。

オールスター第2戦(横浜)では、2回8失点の球宴ワースト記録を作った。落ち込む成瀬は仲間の言葉に励まされた。「いろんな人が『いい思い出じゃないか。なかなかできることじゃない』と。もうやるしかないと思いました」宮本、藤川ら10人以上に激励された。キューバ戦では決勝打を許したが、星野監督は「(打たれた)1球以外は完ぺき」と擁護。日の丸でつながった監督、選手の温かい言葉に復活への思いを強めた。

 中継ぎ待機しながら投球練習を繰り返し、登板前日の17日に代表から落選した小林宏に「つかめた気がします」と打ち明けた。7月中からセットポジション投球を続けてきたが、「先発ならタイミングを狂わせる独特のフォームの方がいい」とノーワインドアップに変更。星野監督が強調する「右手の壁」を意識し、左打者8人のカナダ打線を手玉に取った。

 昨年のアジア予選・韓国戦では緊張で足が震え、記憶を失い、4回持たずに降板。今季も不振に悩んだ左腕は「成績も良くないのに選んでもらって感謝しています」と感謝した。今後は決勝トーナメントで中継ぎ待機する。成瀬が敷いた金色のレールに乗って、星野JAPANが頂点へ突っ走る。

 ◆一戸建てゲット ○…成瀬にビッグボーナスが約束された。ロッテのチームスポンサー「君津住宅」(千葉・君津市)は、成瀬が五輪で勝ち星を挙げた場合、両親への一戸建てプレゼントを公約。林起津雄社長(50)は改めて「もちろん実行します」と断言した。本人の希望をくんだ建坪60坪(約198平方メートル)強、約2000~3000万円相当の平屋を検討しており、帰国後に詳細を詰める。成瀬は「本当にもらえるんですか?」と半信半疑のようだが、夢がかないそう。土地は自分で用意する必要がありそうだが…。

参照元:スポーツ報知

◆西武4―7オリックス(18日・西武ドーム) オリックスの清原和博内野手(41)が、41歳の誕生日を迎えた18日の西武戦(西武D)終了後、球団広報を通じ「自分にとって最後のシーズンの誕生日を西武球場で迎えることができて本当に感謝しています」と、今季限りでの引退を正式に表明した。

 清原は左ひざの故障から約2年ぶりに復帰する今月2日の会見で「来年グラウンドには立てないと思います」と今季限りで引退する意向を示し、この日改めて「最後のシーズン」と明確な言葉で表明。試合では7回1死二塁に代打で登場し、四球で出塁。代走を送られてベンチに戻る時、ファンの温かい拍手にヘルメットを脱いで応えた。

 試合途中には西武時代の映像とハッピーバースデーの文字がバックスクリーンで流れ「西武球団にも昔の映像を流していただくなど、感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。思い出の詰まった古巣で、区切りの日を迎えた背番号5。残された試合で、完全燃焼へ向け進んでいく。

参照元:スポーツ報知

 ◆北京五輪 サッカー女子準決勝 日本2―4米国(18日・北京工人体育場) なでしこジャパンのメダル確定はお預けとなった。日本女子代表は、準決勝で米国に2―4で逆転負けした。前半17分、FW大野忍(24)=日テレ=のゴールで先制したが、怒とうの反撃を受け、ドイツとの3位決定戦(21日)に回ることが決まった。男子が銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪以来の快挙に向けて、最後の力を振り絞る。同日の決勝は、ブラジル―米国戦となった。

 金色か銀色に輝くメダルが、一瞬、見えた。なでしこジャパンは、1次リーグ(9日)でも敗れるなど20戦して1度も勝ったことがない(3分け17敗)強豪・米国から先制点を奪った。

 前半17分の右CK。“女・俊輔”と呼ばれるほどの精度を誇るMF宮間が左足でファーサイドの絶妙なエリアへボールを送り、右サイドにいたMF近賀がこぼれ球を受けて思い切り良くシュート。これが結果的に超高速パスと化し、FW大野が落ち着いてゴールど真ん中に蹴り込んだ。

 しかし、世界を驚かせたのはここまでだった。前半41分、MFハクルズに左足で同点弾を奪われ、3分後にはDFチャラプニーの強烈な右足シュートで逆転を許した。「夢中になりすぎ、残り5分ということを意識できなかった」主将のDF池田は“魔の時間帯”を悔やんだ。その後も失点を重ね、後半ロスタイムに荒川が混戦からゴールを決めて意地を見せたが、2―4の完敗。「我々に力がなかった」と佐々木則夫監督(50)は潔く話した。

 アテネ五輪の準々決勝。やはり米国に1―2で敗れた。そのリベンジを果たせず、勝ちなし試合は21に伸びた。だが、うつむいている暇はない。ドイツとの3位決定戦が待っている。終了直後、自然発生的に円陣が組まれた。「切り替えて、次に行こう!」イレブンの明るい声がピッチ上に響いた。スーパーサブのFW丸山は「高さのあるドイツには日本が得意とする速いパス回しが有効で、勝つチャンスはある」と力強く話した。

 1990年代、バブル経済崩壊で日本女子リーグ(現なでしこリーグ)は縮小し、多くの選手がプレーの場を失った。しかし北京でメダルを獲得すれば、追い風が吹き始めることは間違いない。男子の反町ジャパンはすでに地球上から“消滅”。弱小集団にもかかわらずオーバーエージ枠を活用せず、1次リーグ3戦全敗。日本サッカーは世界中から冷笑された。

 最後の大勝負は、ただの3位決定戦ではない。日本サッカーの威信、女子サッカー界の将来…すべてをかけた“銅メダルマッチ”だ。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 ソフトボール(18日・豊台ソフトボール場) すでに2位での準決勝進出が決まっている日本は、1次リーグ最終戦でカナダと対戦し、6―0で快勝。通算6勝1敗でリーグ戦を白星で締めくくった。先発の上野由岐子(26)=ルネサス高崎=が6回を3安打無失点と好投すると、打線も9安打で6点を挙げた。20日の準決勝は、1次リーグで敗れた米国と対戦。金メダル獲得へ向け、まずはライバルへのリベンジを果たす。

 エースの上野は、110キロ超の速球を武器にカナダ打線を翻弄(ほんろう)。「走者を背負っていかに投げられるか」(上野)をテーマにし、6回には2塁打も許したが、後続をシャットアウト。「徐々に調子が上がってきた」と準決勝に向けた“試運転”も完了した。

 エースはここまで2戦に先発し2勝したが、初戦のオーストラリア戦は3失点、16日の中国戦は5安打を許した。「試合勘を養わせるため」と斎藤春香監督(38)は期待を込めて中1日で起用。上野は結果で応えた。

 この日は、2回2死満塁で2番の西山麗(24)=日立ソフトウェア=が2点適時打を放つなど、打線もつながった。「日本らしいプレーをすることができた」と指揮官。投打の歯車もかみ合ってきた。

 準決勝の相手は米国。15日の試合では0―7で屈辱のコールド負けを喫した。「(自分が)投げるつもりでいる」と上野は登板を志願するほど気合が入る。米国撃破で悲願の金メダルに“王手”をかける。

参照元:スポーツ報知

北京五輪バドミントン女子ダブルスでメダル獲得を逃した小椋久美子(25)、潮田玲子(24)=ともに三洋電機=組が18日、成田空港に帰国した。小椋は現役を引退する可能性が高い潮田に対し、引き留めを行う考えを表明。伝説的美女タッグ「オグシオ」の継続を訴える考えを示した。

 「まだ本人(潮田)から何も相談を受けていないし、聞いていない。でも今後のことはこれから2人で話し合って決めるつもり」と小椋。「たとえ、これからコートに立つことがあったとしても…」と引退をほのめかす潮田の考えに、パートナーとして意見し、続行を促す意向だ。

 関係者の中には潮田が引退した場合、小椋の新パートナーに北京五輪ダブルスで4位に入った前田美順(NEC・SKY)を推す夢プランも浮上していたが、「敵チームなのでそれは絶対にない」(小椋)と企業の壁は厚く、実現は不可能。小椋がロンドン五輪を見据え、全力でパートナー継続を訴えていく。

参照元:スポーツ報知

バドミントン女子ダブルス4位の末綱聡子(27)、前田美順(22)組=NEC・SKY=も笑顔で帰国した。惜しくもメダル獲得は逃したが、前田は「大きな舞台で結果を残せてうれしい。報道陣の方が多くてびっくり」と注目の高さに困惑。末綱は「今は温泉にでも入って休みたい。バドミントンが大好きなので、これからも進化し続けたい」。“スエマエ”は4年後のロンドンで表彰台を目指す。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 ホッケー(18日・五輪公園ホッケー場) さくらジャパン、開花せず―。1次リーグB組の日本はアテネ五輪金メダルのドイツに0―1で負け、1勝1分け3敗で同組の5位が確定。9―10位決定戦に回ることになった。8位入賞した前回アテネ五輪を上回れず、恩田昌史監督(69)は試合後、大会前から固めていた辞任の意向を表明。ロンドン五輪に向けて「体格」「体力」を課題に挙げた。ドイツは4勝1敗とし、同組首位で準決勝に進出した。

 力を使い切ってピッチを去る「さくらジャパン」の足取りが重い。3連敗で1次リーグB組5位が決定。すでにメダルの可能性は消えていたが、アテネ五輪の8位を上回ることもなくなった。「予定外の結果」と恩田監督。追い打ちをかけるように、強烈な日ざしが選手を照りつけた。

 果敢に攻めた。アテネ金のドイツに、前半は0―0。MF小野が攻守の起点となってFW千葉、森本が相手ゴールを襲った。しかし後半5分、相手のセットプレーで一瞬目を離したすきに素早いリスタートを切られ、痛恨の失点。終了間際に森本からゴール前の千葉にパスが出たが、わずかに届かず同点機を逸した。

 先発平均身長&体重は、日本の162センチ、58キロに対し、ドイツは171センチ、65キロ。体格差が大きく「パワーで劣っている」(恩田監督)。その差を埋める得点力増強のためにペナルティーコーナーを重視して練習してきたが、この日は3度ともシューターのFB三浦が不発。課題として取り組んできた決定力は、結果に表れなかった。

 1勝1分け3敗。2戦目で格下の米国と引き分ける誤算もあった。それ以外はすべて1点差ゲーム。「勝たないといけない相手に勝てないけど、強いチームにも同等の試合ができる自分たちがいる」小野はもどかしそうに話した。アテネ五輪よりレベルが上がっているが、競り合いを抜け出すタフさが足りなかった。

 「強いチームはボールを持った瞬間の前に出る動きが違う。でも、スタミナ勝負では負けていない」と三浦。さくらジャパンの心はまだ折れていない。20日の9―10位決定戦は、勇退を表明した恩田監督の有終の美を飾る一戦、そしてロンドンへつなげる最終戦にする。

参照元:スポーツ報知

男子プロゴルフの石川遼(16)=パナソニック=が18日、杉原道場に入門した。この日、パナソニックオープン(9月25~28日)が開催される大阪・茨木CCで行われた視察ラウンドで杉原輝雄(71)=ヒグチ歯科グループ=と初めてラウンド。関西のドンの“金言”に聞き入った。

 13番ホールのセカンド地点。ショットを打ち終わった石川に杉原が歩み寄った。「(アイアンショットの時に)ヘッドが返ってしまうからボールがフックする。ヘッドを返さず、ぶつける感じにしたほうがいい」アドバイスを受けた石川はさっそく実践。「球筋が変わった。練習してマスターしたい」と意欲。また、かつて研修生として同コースで修業した杉原から攻略ポイントも伝授され「杉原さんとゴルフができるなんて思ってもいなかった」と充実したラウンドを振り返った。「何かが起こりそうで楽しみ」と目を輝かせた石川。関西のドンの教えを胸に、スキルアップを目指す。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 トライアスロン女子(18日・トライアスロン会場) 女子を行い、競技歴わずか2年半の井出樹里(25)=トーシンパートナーズ・チームケンズ=が日本人初の5位入賞を果たした。けがで陸上から転向し、所属事務所の社長が2か月前に急逝するショックにも負けず、得意のランで巻き返した。正式競技となった2000年シドニー五輪から3大会連続出場の庭田清美(37)=アシックス・ザバス=は9位、上田藍(24)=シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター=は17位。エマ・スノーシル(オーストラリア)が金メダルを獲得した。

 井出が、快挙のゴールだ。合計51・5キロを力強く戦い抜き、3位と27秒93のタイム差まで詰め寄るフィニッシュ。「メダルが欲しかった。力は出し切った。これが今の実力」と充実感とともに悔しさをにじませた。

 56人出場のレースで、1・5キロのスイムを4位通過。ペースが速かった分「気持ち的に余裕が出た」。40キロのバイクは第1集団の最後尾から虎視眈々(こしたんたん)と上位狙い。2・5キロを4周するランでは力を蓄えて18位から猛追し、3周目で4位に浮上。最後の1周は14秒差の3位の選手を追って勝負に出たが、力尽きた。

 日本のトライアスロン界にすい星のごとく現れた。デビュー年の2006年に国内大会で3度優勝。今年5月、競技歴2年あまりで五輪切符を獲得した。身長158センチ、体重50キロ。欧米勢に体格で劣るが、持ち味はスイムで発揮する馬力。所属チームの飯島健二郎監督(39)が「猪」とあだ名をつけるほどだ。

 スイム、バイク、ランの3種目のトータルの速さで争う競技の下地を持っていた。高校は競泳自由形でインターハイに出場。大学では陸上一万メートルで日本学生対校選手権に出場。だが、成績は鳴かず飛ばずだった。そんな矢先の大学3年の時、“けがの功名”で競技と出会った。故障の多さから水泳で体力をつけようと、飯島監督のもとに出げい古。そこで素質を見い出された。

 元選手でプロ第2号だった飯島監督が東京・西東京市に設立した所属チームは今年で20周年。井出はチームの寮に同じ25歳の女子選手2人と共同生活を送る。寮のテレビで活躍を見守った中島千恵さん(25)は「全員猪年で2年間一緒にいます。彼女はマイペースだけど猪突(ちょとつ)猛進型。作ってあげたお守りに、猪のキーホルダーを入れておきました」。

 8歳の時に書いた「五輪で金メダル」の夢に一歩前進。「2年でここまでやれた。4年後を見ていてください」と猪娘。その視線は早くもロンドンに向けられた。

 ◆井出 樹里(いで・じゅり)
  ▼生まれ 1983年6月9日、東京・世田谷区。25歳。
  ▼スポーツ歴 6歳で水泳を始め、8歳の時の夢は「五輪で金メダル」。区立新星中から進んだ都立松原高時代は競泳自由形の選手でインターハイ出場。玉川大では陸上部に所属し、一万メートルで日本学生対校選手権に出場した。
  ▼体 158センチ、50キロ。血液型O。
  ▼W杯最高成績 07年12月のイスラエル・エイラート大会2位。
  ▼家族 父・靖博さんと母・恵美子さん、兄・祐樹さんと弟・吏樹(りき)さん(日体大4年)。小中学生時代の夏休みは父の実家の新潟・佐渡島で、遠泳で体を鍛えた。母の実家は東京・世田谷区池尻の老舗鮮魚店「魚正」。好きな食べ物はサバのみそ煮。
  ▼ニックネーム デッチ、猪、猛娘(もうむす)。

 ◆日本のトライアスロン 1974年に初めて米国で開催され、00年シドニー五輪で正式競技。日本初の大会は85年で、同年に発足した日本連盟(現・連合)の初代会長にプロ野球巨人の長嶋茂雄監督が就いた。“ミスター伝道師”として93年の球界復帰まで約10年、普及や強化に尽力。プロ第2号で井出樹里の恩師・飯島健二郎らを育成した。日本連合によると発足当時は数千人だった日本の競技人口は現在、約20万人という。

参照元:スポーツ報知

女子ゴルフの最新世界ランキングが19日発表され、上田桃子(22)=ソニー=は前週と同じ16位だった。不動裕理(31)=フリー=は18位、横峯さくら(22)=エプソン=は26位、宮里藍(23)=サントリー=は33位。

 1位はロレーナ・オチョア(メキシコ)、2位はアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)で変わらなかった。

参照元:スポーツ報知

サッカー女子日本代表は18日、準決勝で米国と対戦する。勝てば、日本女子サッカー史上初のメダル獲得が確定という大一番へ向けて、17日は試合会場となる北京工人体育場で非公開練習(冒頭15分のみ公開)を行った。過去20戦勝ち星なしの米国を倒し、歴史的1勝を挙げる。

 新しい時代の扉が開こうとしている。女子初のメダル獲得へ、準備は万端だ。「初めて米国に勝利する、イコール初めて我々がメダルを手にするという結果を、なでしこの選手たちが出してくれるのを信じている」と佐々木監督。米国には過去20戦勝っていない。1次リーグでも0―1で敗れた。だが、負ける気はしない。「米国に絶対勝って、なでしこジャパンの名を世界にアピールしたい」とMF安藤。死に物狂いでメダルをつかむ。

 1次リーグで敗退した男子の分析担当が、17日から合流。残り2試合で史上初のメダルへ、強力なバックアップ態勢も整った。「自分たちのサッカーをやれば勝てない相手じゃない」と沢。あとはなでしこの魂をぶつけるだけだ。

 「米国にぜひ勝ちたいというところから、4年前になでしこはスタートした」と指揮官。米国とは04年アテネ五輪準々決勝で対戦したが、1―2で惜敗。だからこそ、米国を破ってのメダル獲得には意味がある。五輪の表彰台に上がるのは日本だ。

参照元:スポーツ報知

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