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今季限りで監督を勇退したソフトバンク・王貞治最高顧問(68)が大みそかの「第59回NHK紅白歌合戦」に特別出演することが6日、分かった。ユニホームを脱いだ今年は、プロ野球生活50年の節目を迎えたこともあり「今年を象徴する人物」として出演を依頼された。番組中、コーナーの一つに出演する見込みだ。

 紅白歌合戦には、通算756本塁打の世界記録を達成した1977年、ダイエー(現ソフトバンク)監督として初の日本一に輝いた99年など、これまでに4度出演。いずれも審査員は務めておらず、今回もゲスト出演の形がとられる。今回の紅白では王顧問のほか、北京五輪競泳男子平泳ぎ2冠の北島康介選手(26)、同女子ソフトボールで金メダルに輝いたエース・上野由岐子投手(26)らの特別出演も予定されている。

 今月中旬には名球会の行事に参加するため、ハワイに出発。同下旬には帰国し、年末年始は都内で過ごす予定だ。シーズン終了後には「今年は監督を辞めたことやプロ野球に入って50年とか、いろいろ重なった」と、しみじみ振り返っていた王顧問。激動の一年を、国民的行事に参加して締めくくる。

参照元:スポーツ報知

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【ニューヨーク5日】ヤンキースの松井秀喜外野手(34)が来季への“定位置”を確保した。新ヤンキー・スタジアムを初めて視察し、ロッカーの場所を決めた。左ひざのリハビリを約3時間行った松井は、夕方に旧ヤンキー・スタジアムを出て、道一つ隔てた工事中の新球場に向かった。

 「ロッカーを決めてくれ、と言われた」現場でヘルメットを着用しながら、新たな居場所探し。まだジーター、ポサダら数人しかロッカーを決めていない。レギュラー選手だけに与えられた特権で、来季も期待されているあかしだ。

 「全体的につくりが豪華で素晴らしい。あそこでいいプレーができたらいい」と松井。まだランニングの許可は出ていない。試合での定位置を確保する前に、ロッカーの場所を決めた。

参照元:スポーツ報知

◆J1最終節 札幌0―1鹿島(6日、札幌ドーム) 鹿島が前半35分、MF野沢拓也(27)が決めたゴールを守り切り、1―0で札幌を下して2年連続6度目のリーグ優勝を飾った。チームを支えた元日本代表MF本山雅志(29)は今季、先天性水腎症を発症したが、手術を延期して出場を続けていたことを告白。本山は自らの命を懸けて、J初となる2度目の連覇に貢献した。今月中に手術を受けるが、復帰までには3か月以上かかる見込みで、来季の開幕は絶望となった。

 走る力も残されていなかった。優勝の瞬間、MF本山はベンチからゆっくりと歓喜の輪に歩み寄った。DF内田、MF野沢と静かに抱擁を繰り返す。「本当に苦しかった。優勝で報われた。うれしい。よく体がもってくれた」涙はない。安堵(あんど)の笑みを浮かべだ。

 今季開幕後の3月、腹部と腰に鈍痛が走った。チームドクターの診断は先天性水腎症。生まれつきの病気が突然、発症した。「どうしたらいいのか分からなかった」最悪、腎不全の引き金となる大病。選手生命どころか、生命の危機を意味する宣告だった。

 排尿がうまくいかないため「水分摂取」が制限された。手術は延期できても、試合中も汗を出す分だけの水しか口にできない。食事も制限された。フル出場は許されない体となり、途中交代が増えた。だが、オリヴェイラ・サッカーは、本山の機動力なくしては成り立たない。チームの精神的支柱でもある。「迷惑はかけられない」指揮官とフロント上層部には報告したが、チームメートには口をつぐんだ。

 試合中も痛みは襲った。負傷のふりをして倒れ込み、痛みが引くのを待ったこともある。MF小笠原が9月、MF中田が10月に離脱。同期の主力が倒れ「休むわけにはいかない」という気持ちが強まった。ジーコ氏、ビスマルク氏と受け継がれた背番号10の意地だった。

 延期していた手術は今月中に受ける。狭まっている尿管を切断し、正常な尿管同士をつなぎ合わせる予定だ。復帰まで3か月以上を要する見込みで、来季開幕は絶望的だ。たとえ復帰しても、これまでのようなプレーができるとは限らない。「手術するからといって、良くなるとは限らないらしい。治るとは限らないといわれた。僕は退化していきます」本山は寂しげに明かした。

 この日の札幌戦では、優勝への重圧の中で技術を詰め込んだキープとパス回しで、交代する後半29分まで水もほとんど飲まずに奮闘した。前半35分、MF野沢の決勝弾で快勝。ようやく打ち明けられる。命と引き換えに連覇に導いた本山は、いつまでもピッチで喜びに浸っていた。

 ◆鹿島アントラーズ ホームタウンは茨城・鹿嶋市など5市(大東和美・代表取締役社長)。1947年に住友金属工業蹴球団として創部し、91年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称。96年にリーグ初優勝を果たすと、00年にはナビスコ杯、天皇杯との年間3冠を達成。08年のリーグ制覇でチーム通算12個目のタイトル獲得となる。チーム名の「アントラー」は鹿の枝角を意味し、茨城県の鹿島神宮の鹿にちなんだもの。チームカラーはディープレッド。

 ◆先天性水腎症 生まれつき尿管が狭く、排尿が正常通りにできないため、腎臓に水がたまる症状。腎臓が膨張し、腹部や腰を圧迫して痛み引き起こす。悪化すれば腎不全にもつながる可能性がある。およそ600~800人に1人がかかる病気。完治は難しい。水分摂取の制限、食事制限などが課せられ、サッカー選手としては致命的ともいえる。

参照元:スポーツ報知

◆ラグビー 関東大学リーグ 帝京大43―0筑波大(6日、埼玉・熊谷ラグビー場) 対抗戦グループの2試合を行い、帝京大が1970年の創部から39年目で初の栄冠をつかんだ。筑波大を43―0で完封し、通算6勝1分け。対抗戦では早慶明の伝統3校、日体大に続く5校目の優勝。早大の連勝を「53」で止める快進撃で史上最多の8連覇を阻止。歴史に新たな1ページを刻んだ“赤い旋風”は、20日開幕の全国大学選手権で学生日本一に挑む。2位の早大、3位日体大、4位慶大までが全国大学選手権に出場。5位の筑波大は同選手権関東第5代表決定戦に回る。

 深紅のジャージー軍団が、伝統の壁をついにぶち破った。歓喜のノーサイドの笛。帝京大フィフティーンは円陣を組み、勝利の雄たけびをあげた。「多くの礎があったからこそ優勝できた」代理主将のセンター井本は声を弾ませた。

 開始1分、フッカー天野の先制トライで火が着いた。重戦車・明大を蹴散らし、早大の連勝を「53」で止めた強力FW陣が大暴れ。ニュージーランド留学生ロックのボンド、フランカーのツイを中心に攻め、筑波大を完封。熱い「帝京」コールがわき起こった。

 歴史は部員15人、石の転がるグラウンドから始まった。日大鶴ケ丘高教諭だった増村昭策・名誉顧問(74)が創部4年目に監督就任。各校を歩き回り、日本協会元専務理事で当時早大監督の白井善三郎氏の協力を得て78年に対抗戦加盟が認められた。96年に、78年の大学日本一メンバーだった日体大の後輩・岩出雅之監督(50)に後を託したが、初優勝を見届け「生きている間に優勝できるとは思わなかった」と感慨深げ。胴上げの栄光を指揮官として初めて味わった岩出監督は「日本ラグビー界の中心にあるのは早慶明の対抗戦。一生懸命、追いつこうと努力が実った」と目を真っ赤にした。

 伝統校に肉薄したものの、97年には部員らが集団婦女暴行事件を起こし、翌1年間の出場辞退も経験した。就任2年目での不祥事を乗り越えた岩出監督は「本当に多くの時間がかかった。成長と積み重ね、人とのつながりを学生も学んでくれたと思う」と話した。次は10年連続16回目の舞台で初の大学日本一に挑む。「ここからが本当の勝負」と指揮官。赤い旋風は、まだ吹き続ける。

 ◆帝京大ラグビー部 1970年創部。グラウンドは東京・日野市。今季の部員数は122人。78年、関東大学リーグ対抗戦に加盟。83年、早大から初勝利を挙げて大学選手権初出場。84年に明大、97年には慶大に初勝利。大学選手権の最高は02年と07年の4強。主なOBは99年卒の主将で元日本代表センターの難波英樹(トヨタ自動車)、00年卒の元日本代表主将でプロップの相馬朋和(三洋電機)ら。

参照元:スポーツ報知

6階級制覇王者のオスカー・デラホーヤ(35)=米国=とアジア初の4階級制覇王者マニー・パッキャオ(29)=フィリピン=が激突する世界注目のビッグマッチは6日(日本時間7日)、米ラスベガスでゴング。決戦直前の5日(同6日)、計量が行われ両者ともパスした。

 階級は元ミドル級王者のデラホーヤと現WBCライト級王者パッキャオのほぼ中間にあたるウエルター級(66・6キロ以下)に設定。ノンタイトル戦ながら階級の壁を越えた一戦に注目が集まっている。なお、この試合は7日午前11時からWOWOWで放送される。

参照元:スポーツ報知

◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー今季最終戦 日本シリーズJTカップ第3日(6日、東京よみうりCC、7016ヤード、パー70) 武藤俊憲(30)=赤城CC=が今年のマスターズ王者、トレバー・イメルマン(南アフリカ)からのアドバイスを胸に7バーディー、3ボギーの66をマーク。メジャー初Vへ向け、通算9アンダーで首位に立った。63の猛チャージを見せ首位に並んだタイのプラヤド・マークセン(42)=キャロウェイゴルフ=は、世界ランク50位以内でのマスターズ出場へ意欲。1打差3位に手嶋多一(40)=ミズノ=ら3人がつけ、首位から3打差圏内に9人がひしめく大混戦となった。

 メジャーで初めて首位で迎える最終日を前にしても、武藤は落ち着き払っていた。「緊張は全くない。2年前は目の前でシンに優勝されたので、いい結果を出したい」06年大会は5打差3位で最終日最終組に臨んだが、同組のJ・M・シンに圧倒され4位。リベンジの機会が訪れた。

 マスターズ王者の言葉を胸にバーディーを量産した。11月の三井住友VISA太平洋。第3日から2日間同組だったイメルマンに助言を受けた。「ピンを狙って打つ姿勢が大事なんだ」そこから攻め方を変えた。「ピンのポジションによって右サイドや左サイドに打ち分けることも必要だけど、ピンを狙おう」。2番の第1打は1・5メートルにつけ、3番は第2打をピンそば15センチにピタリで連続バーディー。8番でも、もう少しでホールインワンのショットで10センチに絡め、66をマークした。

 今季から小林宏平トレーナーと契約。股(こ)関節と体幹を中心に鍛えるとともに、1年間戦える体づくりをテーマにトレーニングを積んできた。年頭に、調子の波を5月の日本プロなど4度のピークに持って行く計画を立て、そのうちの1度がシーズン終盤のこの季節。「疲れはない。トレーニングの成果は出てます」と体調も万全。ボールには「群馬の誇り。群馬県民はみんな好き」と言い切る草津温泉を連想させる温泉マークを入れている。今大会後に計画する温泉旅行で優勝の余韻に浸りたいところだ。

 ツアー通算2勝のプロ8年生。「日本タイトル? 欲しいですよ。ずっとツアーに出ていたい気持ちがあるので、3年シード欲しいですよね」頂点は譲れない。

参照元:スポーツ報知

◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー今季最終戦 日本シリーズJTカップ第3日(6日、東京よみうりCC、7016ヤード、パー70) 石川遼(17)=パナソニック=が国内メジャー最年少優勝を射程にとらえた。2打差4位から6バーディー、2ボギーの66をマークし、通算8アンダー。首位の武藤俊憲(30)=赤城CC=、プラヤド・マークセン(42)=キャロウェイゴルフ=に1打差の3位につけた。7日、日本最強ゴルファー決定戦を制し、来年の海外メジャー初戦、マスターズ(4月9~12日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC)出場権を、その手でつかむ。

 グリーンを悠然と闊歩(かっぽ)する姿は、もはや17歳とは思えなかった。15番パー3、グリーン右手前エッジからの第2打。サンドウエッジで放たれたボールは上って下るフックラインを走り、20ヤード先のピンに当たってカップに消えた。

 劇的なチップインバーディー。にもかかわらず、石川は軽く両手を広げ、笑顔で歩いただけだった。「イメージより2メートルくらい強く打ってしまった。入っていなかったら、3、4メートルは行っていた」ツアー史上最年少優勝を飾った昨年のマンシングウェアKSBカップ最終日、17番でバンカーショットを放り込んだ。その奇跡を彷彿(ほうふつ)させる幸運の一打だった。

序盤はティーショットが不調だったが、6番パー5でグリーン右ラフからの第3打に3ウッドを使って5メートルに寄せ、初バーディーを決めた。バーディーの12番ではマークセン、シンと首位に並んだ。結局1打差3位となったが、「あしたは何の不安もなく100%の状態で挑める。幸せだし、ラッキーな男だと思います」と口元を緩めた。

 昨年比1・5倍、第3日の観衆として今季3番目の9010人が訪れ、午前6時半の開門直後には18番グリーンを囲む芝生の斜面で席取り合戦が行われた。これで、今季日本で行われたツアー計24戦の観客動員数が7年ぶりに50万人を突破。日本ゴルフツアー機構が販売する各選手の顔写真入りバッジは昨年の約6倍となる1万2400個が売れ、うち石川のものが約8600個と7割を占めた。前週のカシオワールドでプロ野球・楽天のキャラクター、「Mr.カラスコ」のヘッドカバーを使えば「どこで売っている?」という問い合わせが球団事務所に及んだ。

 最終日は最終1組前でスタート。昨年の「マンシング―」は4打差9位から、今年10月のマイナビABC選手権は3打差3位からと、過去2勝は逆転で挙げただけに、追う立場は望むところだ。優勝ならマスターズ切符が得られる世界ランク50位以内入りが確定的。プレー後、テレビ解説を務めた青木功から「最後、勝っちゃいなさい」とゲキを飛ばされ「今年最後なんで一番いいラウンドにします」と誓った。史上最年少メジャー制覇と、その先に見えたオーガスタへの道。舞台は、整った。

 ◆最終日に強い石川 今季の平均ストロークは予選ラウンドが71・91(全体29位)、第3ラウンドが71・71(同36位)なのに対し、最終ラウンドは70・07(同6位)。優勝した2試合も、「マンシング―」は予選ラウンドが72、69だったが、1日で回った決勝ラウンドは69、66。「マイナビ―」は3日間70を並べ、最終日に69をマークした。

 ◆今大会で石川にかかる記録
  ▼メジャー最年少優勝 17歳2か月20日での優勝は、1928年日本オープンの浅見緑蔵(19歳9か月7日)を更新
  ▼大会最年少優勝 81年の羽川豊(23歳11か月29日)を更新
  ▼マスターズ 年末時の世界ランク50位までが来年の出場権をゲット。今大会優勝なら50位以内に入る可能性が高い
  ▼全英オープン 優勝で、マークセンが単独3位以下なら賞金ランク3位となり、有資格者の片山晋呉を除く上位2人の資格で出場権獲得

参照元:スポーツ報知

◆K―1ワールドGP 決勝トーナメント ▽決勝 ○レミー・ボンヤスキー(2回0分53秒 失格)バダ・ハリ●(6日・横浜アリーナ) 決勝戦は、前代未聞の決着となった。バダ・ハリ(23)=モロッコ=が大暴走し、スリップダウンして横たわるレミー・ボンヤスキー(32)=オランダ=の頭部を踏み付ける反則で、失格負け。ワールドGP史上初、反則で優勝が決まるという後味の悪すぎる結果となってしまった。ハリには出場停止など厳重な処分が下る見込み。ボンヤスキーは4年ぶり3度目の優勝を果たしたが、素直に喜べない王座返り咲きだった。

 まるで街のチンピラのケンカだ。2ラウンド序盤、互いにもつれるようにして倒れ込んだボンヤスキーに、暴走したハリが、反則アタック。右、左と拳を振り下ろすと、あげくの果ては、制止するレフェリーの股間(こかん)から、左足を振り下ろし、頭部にストンピング(踏み付け)まで繰り出した。K―1であってはならない反則劇が、よりによって最大のイベントGPの決勝戦で起きてしまった。

 反則直後は、警告のイエローカードがハリに出されたにとどまったが、5分のインターバルを挟んでも、ボンヤスキーが回復せず、物が二重に見える症状が起き、続行不可能。レッドカードが突き付けられ、ハリの反則負けが宣告された。「悪質な反則行為による失格です」角田信朗レフェリーが、観客のブーイングを押さえ込むように説明。あっけなく試合は終わった。

 王座返り咲きのボンヤスキーは「ここまで犠牲を払って練習してきたのに、こんな結果になってしまった」と複雑な思いから、悔しさ交じりの涙を流した。一方、ハリは「感情的になったが、本当に(反則の)ダメージがあったのか。彼は主演男優賞ものだ」と、反省の色は少なく、逆に相手に難癖を付けた。準々決勝でベテランのアーツを下し世代交代を印象づけ、準決勝ではジマーマンを逆転の鮮やかなKOで下し、そこまでは、K―1の醍醐(だいご)味を体現したファイトを見せたハリだけに、言動ともに残念な結末となった。

 決勝戦の失格決着は史上初。ハリはファイトマネー没収とともに、出場停止処分が下ることになる。誰もが最高の内容を期待した決勝戦は、史上最低の結果に終わった。

 ◆アーツ 現役続行を示唆 ○…38歳で4度目の優勝を狙ったが、若手の勢いに屈した。準々決勝で、序盤からラッシュをかけるハリに防戦一方となり、1ラウンド、2ラウンドとダウンを喫して、レフェリーストップ負け。「彼のシャープな動きに合わせられなかった」と、下を向くばかり。それでも「次の目標がモチベーションになる」と、現役続行を示唆していた。

 ◆谷川EPも激怒 ○…K―1の谷川貞治イベントプロデューサーは、「言語道断。非常に残念な結果になった。許されることではない」と、ハリの行為を厳しく責めた。そこまでは好勝負を繰り広げていたハリだけに、「MVPから大ヒールになってしまったね」と無念そう。処分については、期限を決めての出場停止や、罰金を検討していくという。

参照元:スポーツ報知

中日・立浪和義内野手兼任打撃コーチ(39)が5日、来季限りで現役を引退する意向を明かした。この日、名古屋市内の球団事務所で契約更改交渉を行ったが、2000万円ダウンの8000万円で一発サイン。会見では来季の成績にかかわらず、ユニホームを脱ぐ覚悟を口にした。

 言葉の端々に不退転の決意がにじみ出ていた。プロ22年目の2009年に向け、立浪は早くも表情を引き締めた。「正念場というか、1年で終わるつもりで野球をやろうと考えています。最後だと思って最後の力を振り絞ります」幾度となく繰り返した「最後」の2文字は、ミスター・ドラゴンズの意地だった。

 代打の切り札として2年目を迎えた今季は、86試合に出場し、打率2割5厘、1本塁打、10打点と低迷した。「駄目かな、引退かと考えたこともあった。でもこのままユニホームを脱ぐのも寂しいと思った」悩みに悩んだ。落合監督からも進退を一任された。すべてを託されているからこそ、自らの心の中で引き際を決めた。

 来季年俸は9500万円だった1994年以来、15年ぶりに1億円を割り込んだ。だが不満はない。「代打でこんなに給料をもらっている人はいない」18歳で飛び込んだプロの世界だからこそ、その厳しさは誰よりも痛感している。

 「成績うんぬんじゃなく、そうしよう(現役引退)と決めています。100%? 腹の中ではそのつもりです。もう一度、選手として結果を残すのが恩返しになる」と言い切った背番号3。40歳となる来季、リーグ制覇、日本一を手土産に、堂々と花道を飾る。

 ◆立浪 和義(たつなみ・かずよし)1969年8月19日、大阪市生まれ。39歳。PL学園高では主将として1987年に甲子園春夏連覇。同年ドラフト1位で中日に入団。翌88年に新人王を獲得。2003年にプロ通算2000安打を達成し、07年からは代打として活躍。通算2459安打はプロ野球歴代8位。ベストナイン2度。家族は妻と1女。173センチ、70キロ。右投左打。

参照元:スポーツ報知

【ボストン(米マサチューセッツ州)4日】新日本石油ENEOSの田沢純一投手(22)のレッドソックス入りが正式に決まった。日本のアマから渡米した選手では史上初のメジャー契約で、契約金を含め総額330万ドル(約3億円)の3年契約を結んだ。記者会見では、充実した育成システムと、今季18勝をマークした松坂大輔投手(28)の存在がR軍入りの決め手と強調。最速156キロ右腕のメジャー挑戦が本格的にスタートする。

 カメラのフラッシュの嵐に、何度もまばたきを繰り返した。あこがれのユニホームを手にしても、田沢の表情は緊張でこわばっていた。「笑顔を見せて」カメラマンの声に、ようやく口元が緩んだ。

 社会人野球のエースが夢の扉を開けた。R軍のエプスタインGMは「ようこそレッドソックスへ。おめでとう」と握手。R軍以外にもマリナーズ、レンジャーズ、ブレーブスが条件提示した中、東海岸の名門を選んだ。日本円で3年総額3億円を用意。米国のドラフト上位指名選手でも稀(まれ)なメジャー契約を結んだことに、期待の大きさがうかがえる。

 「最初は(日本の)プロに行こうと思ったんですが、だんだんアメリカで挑戦したい気持ちになった」都市対抗野球終了後の9月上旬、父・一恭さん(64)に希望を伝えた。「無理なんじゃないか?」という父の言葉にも、信念を曲げることはなかった。この日、会見場には両親と弟・亮二さん(21)の姿があった。「メジャーを目指すような性格ではなかったんですが、親の知らないところで成長してたんですね」母・礼子さん(46)は目を細めた。

 R軍入りはシーズンを終えて帰国した松坂と、知人の紹介で対面したことで固まった。「雲の上の存在」と尊敬する18番から「文化など適応が難しい部分もある。早く慣れればいい」とアドバイスを受けた。「最高の人なので、少しでも見て、学びたいと思った」偉大な先輩の背中を追うことを決意した。

 エプスタインGMは田沢を来春のメジャーキャンプに参加させた後、まずは傘下の2Aポートランドで先発起用し、メジャーへの階段を上らせる方針だ。「スカウト期間中も成長を見せていたし、肩も強く、制球力、マウンド度胸もある。育成段階に長くはいないはず」と早期の昇格に期待を寄せた。「不安はすごくある。でも、楽しみです」日本のアマチュア球界からのメジャー契約第1号。周囲の期待、注目は大きいが、フェンウェイ・パークのマウンドに立つ日を夢見て、田沢の挑戦が幕を開ける。

 ◆先輩松坂、激励「何でも聞いて」 ○…松坂が田沢にエールを送った。「早く一緒に上(メジャー)でやりたいですね。分からないことは何でも聞いてほしい」と激励。11月20日に帰国した松坂は16日間の滞在で番組収録、出演イベントの打ち合わせなどを済ませ、5日の午前中、家族の待つ米国に戻った。

 ◆報道陣50人特設会見場 ○…田沢の入団会見は特設会見場で行われた。フェンウェイ・パークには常設の記者会見室があるが、球団広報が「(報道陣が)収容しきれない」ことを考慮。左翼方向の1階に位置し、往年のR軍選手の写真、記念品が飾られた多目的ラウンジを使用した。35席のイスが用意されたが、テレビカメラ9台、日米合わせて50人以上の報道陣が集まる“盛況”だった。

 ◆田沢 純一(たざわ・じゅんいち)1986年6月6日、神奈川・横浜市出身。22歳。小学3年から野球を始め、横浜商大高では2年夏の甲子園に出場。高校卒業後、新日本石油ENEOSに入社。球速が150キロを超える本格派右腕として頭角を現し、07年ワールドカップ(W杯)に日本代表で出場して3位。今年の都市対抗大会では4勝を挙げて優勝に貢献し、最優秀選手にあたる「橋戸賞」に選出された。180センチ、80キロ。右投右打。

参照元:スポーツ報知

 Jリーグは6日、最終節を迎える。J1連覇を狙う首位の鹿島は5日、札幌戦(札幌ド)に備え、鹿島での練習後、当地に移動。日本代表DF内田篤人(20)は、勝利に徹したプレーをする考えを披露した。

 勝負の鬼になる。「札幌も、今季最終戦ということですごい気合を入れて必死で戦ってくる。絶対に簡単な試合じゃない。ウチもドローでいいとかいう考えじゃダメ。圧倒するつもりでいかないと」勝てば連覇が決まる最下位の札幌戦へ、普段はポーカーフェースの内田の表情が引き締まった。

 優勝を手繰り寄せる3つの考えがある。まずは「威圧」だ。ファウルで倒された前節の磐田戦(11月29日)では、手をさしのべてきた相手を手で払いのけた。札幌はJ2降格が決まり、17戦連続未勝利。王者の風格を見せつけ「今回も相手には強くいく。オリヴェイラ監督からもそう言われている。びびる相手もいる」と言い切った。

 さらに「ゲームコントロールをしながら、時間によっては時間稼ぎもやる」と明言。1年の結果を左右する最終戦。優勝条件が整えば、ボールキープ作戦を発動し、時計を進めることも辞さない。そして「審判にも強く行きたい」と話した。今季は判定に恵まれなかった試合もあり、不可解な判定に対しては主審にしっかりと説明を求めにいく。

 クラブの象徴的存在ともいえるジーコ氏とは「会ったことがない」というが「勝利への執着心」を柱としたジーコスピリットを、今季最終戦で体現するつもりだ。「ウチのチームは大人。大人のサッカーを見せたい」と内田。オリヴェイラ監督を軸に、すでにチームは一丸となっている。鹿島が非情に、着実に優勝だけを目指す。

参照元:スポーツ報知

自動車F1シリーズからのホンダの撤退を受け、チームのニック・フライ最高経営責任者(CEO)は5日、早くも3人の買い手が名乗りを上げたと英BBC放送に明らかにした。

 「この12時間のうちに3人の真剣な候補が、チームを買収したいとの意向を伝えてきた」と語った同CEOは、英国に本拠を置く同チームは最新設備がそろい、魅力的な資産であることを強調した。(共同)

参照元:スポーツ報知

ホンダが、自動車レースの最高峰F1シリーズから今年限りで永久撤退することになった。5日、東京・港区の本社で福井威夫社長(64)が記者会見を開き、世界的な景気後退によりビジネス環境が悪化した実情を踏まえた上で「経営資源の再配分が必要になった」と撤退を発表。レーシングチームは売却に向けて協議を進める見通しで、今後はオートバイレースなどへの参加も縮小する方針だ。F1関連の経費は年間500億円超とみられている。

 社長から新入社員まで「ホンダのDNA」と公言していたF1事業が、世界不況という大きな波にのまれてしまった。ホンダは本業の自動車事業が低迷し、チームを維持する経費負担が経営を圧迫。チームも今季は年間ランキング11チーム中9位と低迷し、一部株主からは宣伝効果を疑問視する声が上がっていた。

 福井社長は「会社として意思決定を決めたのは昨日(4日)だが、個人的には以前から決めていた。ファンの皆様には申し訳ない」と釈明。広報を通じ09年のチーム巻き返しを目指す姿勢を見せていたことが、背信的行為となったことを認めた。

 過去2回の中断は資金や技術問題などによる一時撤退で、「休止」と表現し、「撤退」という言葉は使っていなかった。今回、福井社長は「(休止でなく)今度は撤退。将来のことは白紙」と明言。事実上の永久撤退となることを示唆した。

 引き金は金融危機による世界的な景気減速だ。同社はF1に年間約500億円投入しているといわれる。6月には鈴木亜久里オーナーの「スーパーアグリ」への支援を打ち切り、アグリはF1から撤退。今度は本家のホンダにまで金融不況が押し寄せてきた。今後、撤退や規模縮小を考えるメーカーが出るのは必至だ。

 ホンダのF1事業は、創業者の故・本田宗一郎氏が1960年代初頭に参戦を決断して以来の社業だった。第1期が64~68年。第2期の83~92年にアイルトン・セナや日本人初のF1ドライバー・中嶋悟らの活躍で黄金期を築いた。第3期となる2000年からはエンジンの供給を始め、06年からは英国に設立した単独のチームとして参戦。06年8月のハンガリーGPでジェンソン・バトンが優勝したが、07年以降は苦戦が続いていた。

 ホンダは10月に09年3月期連結決算の業績を下方修正。売上高を7月公表より5300億円少ない11兆6000億円にした。世界的な需要減退に対応して埼玉製作所、北米、英国の生産拠点で減産を進めており、国内4工場で来年1月までに約760人の期間従業員の削減を決めている。大島裕志常務執行役員はF1撤退に伴う影響について「本年度の業績に与える影響はそれほど大きくないと思っている」と話したが、F1ファンやホンダファンには大きな衝撃を与えた決断となった。

 ◆F1シリーズ 世界最高峰の自動車レース。1950年からシリーズ化され、故アイルトン・セナ(ブラジル)や中嶋悟らが登場し、日本でも80年代に空前の人気を集めた。日本グランプリは1970年代から開催。

参照元:スポーツ報知

北京五輪で金メダルを獲得したソフトボールの上野由岐子投手が5日、福岡県警東署(福岡市)の1日署長に就任、制服に身を包み「気持ちが引き締まります」と笑顔を見せ、市民らに交通安全や防犯を呼び掛けた。

 上野投手は「五輪ではたくさんの方に応援していただきうれしかった。交通安全や犯罪抑止に少しでも力になりたい」とあいさつ。東署の中村隆一署長は「犯罪ゼロを目指します」と、上野投手とともに“完封”を宣言した。

 この後、上野投手は集まったファンから「頑張って!」と声援を受けながら、買い物客らにチラシやティッシュペーパーを配り、年末を控え防犯を訴えた。

 上野投手と中学時代にソフトボール部でバッテリーを組んでいたという東署生活安全課の森光敬子巡査長(26)は「今日は一緒に仕事ができて、懐かしかった」と話した。

参照元:スポーツ報知

バレーボール全日本女子の新監督に内定したプレミアリーグ女子、久光製薬の真鍋政義監督(45)が5日、都内で会見を行った。強化委員長には1976年モントリオール五輪金メダリストの荒木田裕子さん(54)が就任し、12年ロンドン五輪までバックアップする。

 日本協会は北京五輪後に新監督を公募し、「若い力を買いたい」(立木正夫会長)と40代の真鍋監督を抜てきした。88年ソウル五輪男子代表の真鍋監督は「北京で五輪の熱気を感じ、もう1度挑戦したい気持ちがメラメラと沸いた」と意欲。代表メンバーの選考はこれからになるが、北京で主将を務めたセッター竹下佳江(30)=JT=については「自分も37まで全日本にいた。竹下もまだやれる」と引き続き司令塔を任せたい考えを示した。

 任期は来年4月から4年間で、8月のワールドグランプリ予選ラウンド(大阪など)が主要大会の初陣になる見通し。代表監督への準備期間として、今季中に久光製薬監督を退任する可能性もある。悲願のメダル取りへ、「真鍋ジャパン」がスタートを切った。

 ◆真鍋 政義(まなべ・まさよし)1963年8月21日、兵庫・姫路市生まれ。45歳。大阪商大付高から大阪商大を経て、現役時代のポジションはセッター。86年に日本リーグ・新日鉄(現・堺ブレイザーズ)入社。全日本代表としても88年ソウル五輪(10位)出場。05年に現役引退し、女子の久光製薬監督に就任。06―07年シーズンで同部を5季ぶりの優勝に導いた。

 ◆男子・植田監督続投、先輩と強化タッグ
  ○…男子は16年ぶりに北京五輪に導いた植田辰哉監督(44)の続投が決まった。会見では「ロンドンでは結果を出したい。メダルを取りにいく」と宣言。1歳上の女子・真鍋監督は大阪商大付高、大阪商大、新日鉄を通しての先輩で「男女の風通しを良くしたい」とタッグを組んで強化していくことを誓った。

 ◆植田 辰哉(うえた・たつや)1964年7月25日、香川・大川郡白鳥町(現・東かがわ市)生まれ。44歳。196センチのセンターとして活躍し、大阪商大卒業後、87年新日鉄入社。92年バルセロナ五輪で主将として6位入賞。堺ブレイザーズ監督、全日本男子ジュニア監督を経て、04年ワールドリーグ予選ラウンドから全日本男子監督に就任した。

参照元:スポーツ報知

◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー今季最終戦 日本シリーズJTカップ第2日(5日、東京よみうりCC、7016ヤード、パー70) これが賞金王の集中力だ。14番、グリーンをとらえると思われた片山晋呉(35)=神奈川クリニック=の第2打は、右手前のバンカーへ落ちた。ボールがフェアウエーを横切る上空の電線に当たったようにも見えたため、競技委員を呼び、バンカー内のボールを拾い上げて痕跡を調べた。観客にも状況を聞いたが決定的な証言がなく、打ち直しは認められなかった。

 見せ場はここからだ。50ヤードのバンカーショットは、マウンドをうまく利用してピン手前3メートルに。これを決めてパーでしのいだ。「後から『当たったみたい』と言われたけど」と振り返ったが、首位との差を1打縮めての7位に「最高ですよ」と表情を緩ませた。これには同組の石川遼(17)=パナソニック=も脱帽するばかりだった。

 「仮に救済を受けられても受けられなくても、リズムが変わってしまう。片山さんは打つ瞬間になって、それを全部忘れて集中しているオーラが出ていました。あのプレーは一生忘れません」

 右ひざ痛の再発を防ぐため、9番のティーショット後は坂道をキャディーの手を借りて後ろ向きで下りるなど、細心の注意を払っている。強風でトレードマークのテンガロンハットが揺れたため、後半からニット帽にチェンジ。「風で変えたのは初めて。修正するところ? ないね」悪条件で出したパープレーは、史上4人目の同一年度メジャー3冠と3人目の年間2億円突破へ大きな意味を持つはずだ。

 ◆打ち込みヒヤリ ○…6番グリーン上にいた石川、片山組が一瞬ヒヤリ。後続のドンファンの第2打があわや直撃するところだった。向かい風に負けじとフルショットしたが、タイミング悪くほぼ無風状態に。幸いボールはグリーンエッジに落ちて事なきを得た。ただ、続くジョーンズの第2打が、木にはね返って男性の首を直撃。大けがには至らず、おわびに「NO6 GOMEMNASAI」としたためたボールをプレゼントした。

参照元:スポーツ報知

◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー今季最終戦 日本シリーズJTカップ第2日(5日、東京よみうりCC、7016ヤード、パー70) 石川遼(17)=パナソニック=が、片山晋呉(35)=神奈川クリニック=に1年分の成長を見せつけた。最大瞬間風速16・6メートルの強風が吹き荒れる中、7位から出て4バーディー、3ボギーの69とスコアを伸ばし、首位に2打差の通算4アンダー4位に浮上。昨年大会第2日に同じ組で回った時は片山の66に対し74と乱れたが、70だった賞金王を1打上回って4回目の対決で初勝利。史上最年少メジャー優勝へ大きく前進した。

 強烈な向かい風を“伝家の宝刀”で切り裂いた。500ヤードの11番パー4、残り205ヤードの第2打。無風状態なら4アイアンを使う距離で、石川は2アイアンを握った。

 昨年大会から本格的に使い始め、風に負けない強い球が打てる特有の武器。「手首を返さずにできるだけ普通に打った」ボールは低空飛行でピンへ一直線。ピン右1メートルにつけた。この日の難易度1位のモンスターホールで全選手中唯一のバーディーを連日奪い、ボギーの片山を逆転した。

 初めて片山と同組となった昨年大会は、プレー中に「次元が違う」と自分を見失い、66で回った片山に対し74と崩れた。だが今年は違った。8番までに2つスコアを落としながら、9番で第2打を30センチにつけてバーディー。昨年は2ボギーをたたいたインで、11番から連続バーディーとスコアを2つ伸ばした。

 胸を張ったのは16番の第1打。追い風の中、片山が3ウッドで狭いフェアウエーを捕らえたのに対し、ドライバーで350ヤードをかっ飛ばし、狙い通り左のラフに置いた。「ドライバーで打つには、あのラインしかなかった」ドライバー精度の向上が、1年の成長の証しだった。「片山さんの『ナイスショット』の声が、それまでと違ったと思う」持っていた自信は確信に変わった。

4度目の対決で片山に初勝利。だが、第1打が打ち上げの17番では、ドライバーの飛距離で負けた。2位に入った10月の日本オープンの際、永久シード権を獲得した片山を「遠い存在」と評した通り、風に打ち勝つスピン量を抑えた低い弾道を見て、まだ届かぬ技術を改めて思い知らされた。

 器の大きさにも心酔している。今季は試合後、突然パットを指導してくれたことがあった。5月には2007年のマスターズ土産のネームタグをもらった。「(ツアーで初優勝した)07年は君の人生が変わった年だ。20歳でマスターズに出たいんだろ。おれもそれまで頑張る」思わぬ気遣いに胸が熱くなった。

 平均スコアが初日の67・54から71・42と大幅に落ちた悪条件下、69で首位と2打差に接近。「いい形で終わって良かった。あした望みがつながるラウンドにしたい。片山さんに、きょう勝っても意味がないですからね」視線の先には、国内メジャー史上最年少優勝が、きっとある。

参照元:スポーツ報知

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