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 「プロレスの神様」とうたわれたカール・ゴッチさんが28日(日本時間29日)、米国フロリダ州タンパの自宅で死去した。死因は肺炎とみられている。82歳だった。ゴッチさんは61年4月、日本プロレスのワールド・リーグ戦で初来日。自ら編み出したジャーマン・スープレックス(原爆固め)を日本に広め、アントニオ猪木、藤波辰爾らを輩出するなど、日本プロレス界の「育ての親」だった。生前も無我ワールドの名誉顧問を務め、日本プロレス界の発展に尽力していた。

 突然の訃報(ふほう)だった。80歳を過ぎてもゴッチさんは毎日、腕立て伏せ200回をこなすなど、体力は衰え知らずでワインを一晩に2、3本も空けてしまうなど病魔とも無縁に見えた。無我の西村が2週間前に電話した際にも元気に応じていたという。だが数日前から容体が急変。自宅近くの病院に一時入院し、最後は愛犬を残した独り暮らしの自宅で亡くなった。

 都内で打ち合わせ中に知らされた猪木は「体が悪いのは聞いていたが、亡くなられたことには言葉もありません。もっと長生きしてほしかった」と落胆の色を隠せなかった。自身の代名詞でもある卍固めはゴッチさんから伝授されたもの。日本プロレス参戦のため3度目の来日となった68年4月からの1年2カ月間、通称「ゴッチ教室」で基礎から教えてくれた師匠だった。

 厳しい指導で知られ、新日本では藤波、佐山、前田ら、そうそうたるメンバーを育てた。ウエートトレは用いず、75年には自宅に住み込んでいた藤波を動物園に連れて行き、手本としてゴリラの筋肉を見せたこともあった。52年ヘルシンキ五輪のレスリングで銀メダルを獲得した技術はもちろん、レスリング技を応用したジャーマン・スープレックスを編み出すアイデアもあり、日本で「ストロングスタイル」を確立した。

 来日当初に、力道山から「強ければ良いってものじゃない」と敬遠されたように、エンターテインメント色を欠くスタイルで、米国では大成しなかった。だが強さを求めて旗揚げした新日本のスタイルとは合致。旗揚げ戦ではメーンで猪木を破った。その後もUWFや藤原組で最高顧問を務め、昨夏からは無我の名誉顧問に就任。後進育成に尽力し続け「プロレスの神様」と呼ばれ尊敬を集めた。人気低迷がさけばれる日本プロレス界は、また1人、貴重な人材を失った。

参照元:スポーツ報知

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