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アテネ五輪女子マラソン金メダリストで、けがのため出場が危ぶまれていた野口みずき(30)=シスメックス=が「左大腿(だいたい)二頭筋の肉離れ及び左半腱(けん)様筋の損傷」(左太もも肉離れ)のため、17日のレースを欠場することが12日、決まった。野口側が日本オリンピック委員会(JOC)に辞退を伝え受理された。日本は土佐礼子(32)=三井住友海上=と中村友梨香(22)=天満屋=の2人が出場するが、3大会連続の金メダルは厳しい状況となった。野口は2012年ロンドン五輪を目指し現役を続行する。

 北京には出ない。苦渋の決断を野口が下した。左脚の回復へ、必死の努力を続けてきたが、この日午前、欠場を決めた。

 この日は早朝にランニングを行い、その後、本番と同じペースで走るスピード練習を行い、出場するかどうかの判断をするはずだった。しかしランニングでも、スピード練習でも左脚の痛みは消えなかった。野口側は午後、陸連に「断念」を伝えた。午後5時すぎ、京都市内の合宿所に姿を見せた藤田信之監督は、集まった報道陣に悔しさをぶつけるように「邪魔されたら見極めができない」と、大きな声を出したが、そのときはすでに辞退を決めていた。

 4日にスイス・サンモリッツでの高地合宿を途中で切り上げ緊急帰国。7月25日の練習後に左でん部に痛みが走った。局所注射や痛み止めなどを使い、様子を見たが、痛みが引かず、国内で精密検査をするためだった。2度の磁気共鳴画像(MRI)検査の結果、左足付け根付近に2か所の肉離れがあることが判明した。軽いジョギングや補強運動は続け、超音波治療など、可能な限り試みたが時間が少なすぎた。

 トップでテープを切ったアテネ五輪のゴールの瞬間の感動を「宝物みたい」と振り返り、もう一度、味わうために、練習を積み重ねてきた。1か月で約1000キロ、アテネ後の4年間で地球1周分以上、練習で走った。2006年、ベルリンマラソンを欠場したときも、けがには打ち勝ち、北京切符をつかむところまではい上がった。しかし今回のけがを、関係者は「さすがに“勤続疲労”が出たのかもしれない」と指摘する。体に負担のかかる高地では、他の選手なら平地より練習量を落とすが、野口は朝、午後の走り込みに加え、筋力強化を欠かさなかった。

 すべては、五輪で勝つため、初の女子マラソン連覇を成し遂げるためだった。だが、待っていたのは、あまりに残酷な運命。戦わずして、野口の北京五輪は終わった。

 ◆大腿二頭筋と半腱様筋 大腿(だいたい)二頭筋は太ももの裏の外側、半腱(けん)様筋は内側の筋肉で「ハムストリング」とも呼ばれ、ランニング中のひざの曲げ伸ばしなどに使われる。筋肉の繊維の断裂などを起こしやすい部位の一つで、再発が多い。脚の付け根付近からつながっているため、付け根に痛みを感じることもある。特別な治療法はなく、自然治癒によって日常生活に支障がない程度まで回復するのに3週間程度かかる。

 ◆野口 みずき(のぐち・みずき)1978年7月3日、静岡生まれ。30歳。04年アテネ五輪で高橋尚子に続く日本勢2大会連続となる金メダルを獲得。初マラソンで制した02年名古屋国際を含め、マラソンは6戦5勝。05年ベルリンで世界歴代3位に相当する2時間19分12秒の日本記録をマーク。三重・宇治山田商高からワコール、グローバリーを経て05年12月からシスメックス所属。150センチ、40キロ。

参照元:スポーツ報知
 

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◆北京五輪 体操男子団体総合決勝(12日・国家体育館) 打倒中国は個人総合で、内村航平(19)=日体大1年=が果たす! 14日の決勝には日本勢トップの4位で進出していたチーム最年少の新エースは、首から下げた団体の銀メダルをうれしそうに見つめた。「夢のオリンピックでメダルを取れた。自分としては信じられないです」宝物をもらった少年のように、何度もメダルの表裏をひっくり返した。

 3歳から元体操選手の両親が運営する長崎・諫早市のクラブで育った。駐車場に持ち込んだ海上コンテナ2基を改造した粗末な“体育館”。家族はマットや道具を片付けて寝泊まりした。父・和久さん(47)は「当初は生徒が集まらなかったので、うどん屋でアルバイトした」。2000年には別の敷地に「スポーツクラブ内村」がオープン。だが、内村は「もっと天井の高い所で練習したい」と東京の高校に進学。体操仲間と共同生活を始め、放課後は都内の体操クラブで練習。頭角を現し一気に代表を射止めた。

 10代で体操個人メダルを獲得すれば、88年ソウル五輪で床運動銅メダルの池谷幸雄以来20年ぶり2人目。「4年後にチームで金を取れればいい」次は、個人としての夢に挑戦する。

参照元:スポーツ報知
 

◆北京五輪 バレーボール(12日・首都体育館ほか) 男子1次リーグの第2戦を行い、4大会ぶりに五輪出場した世界ランク11位の日本は、同4位のブルガリアに27―29、25―23、21―25、19―25で敗れた。ベテランの荻野正二(38)=サントリー=らが先発した日本は16年ぶりの勝利を狙ったが、ブルガリアの高さのあるブロックと強烈なスパイクに苦しみ、開幕2連敗となった。14日は世界ランク21位の中国と対戦する。4大会連続でメダルを狙うイタリアは1―3で米国に敗れ、1勝1敗となった。米国は2連勝。B組はポーランド、ブラジル、ロシアが2連勝した。

参照元:スポーツ報知
 

◆北京五輪 ソフトボール1次リーグ 日本4―3オーストラリア(12日・豊台ソフトボール場) 1次リーグが開幕し、悲願の金メダルを狙う日本はオーストラリアと対戦。エースの上野由岐子(26)=ルネサス高崎=が先発し、2本塁打を浴びながらも粘り強い投球を見せ、4―3で白星発進した。4連覇を目指す優勝候補筆頭の米国はベネズエラに11―0(5回コールド)で大勝。メダル候補のカナダは台湾に6―1で快勝し、中国は10―2でオランダに圧勝した。

 最後の打者を二ゴロに仕留めると、上野にかすかな笑みが浮かんだ。薄氷を踏む勝利に安どの表情。「みんなに助けてもらった」とマウンドに集まったチームメートに感謝した。

 “世界最速投手”と世界から注目を集める上野は、初回こそ110キロ台の速球で2三振を奪ったが、4番馬渕の3ランで先制して迎えた2回、ティトキュームに2ラン、8番ボワリングに同点ソロを浴びた。投げ急ぎが目立ち、本来の投球ができなかった。

 それでも、2回1死一、三塁、1番狩野の二ゴロが野選となる間に再び勝ち越すと「3回以降は落ち着いて投げ、修正できた」と緩急を使った投球を披露。最後の3回は三振こそ奪えなかったが、6回の6番ワードの5球目には外角への直球でカーボンバットをへし折る気迫を見せ、1点リードを死守した。

 04年のアテネ五輪。金メダルを狙い、今大会と同じく初戦でオーストラリアとぶつかった。初回に相手投手が5連続四球を出す乱れに乗じ2点を先制しながらも、先発の上野が本塁打を浴びるなど3失点で逆転を許し、4回で降板。勢いをつけるはずの初戦でつまずいた。だからこそ今大会は「(初戦の相手が)決まったとき試練を与えてくれたと思った」と使命感を持って臨んだ。4年前は無我夢中だった。「いかに自分を出し切れるかという考えだった」。しかし敗戦を経て「相手あっての戦い。どれだけ相手を観察できるか」と考え方を変え、どんな状況にも対応できる柔軟な投球を目指している。

 7回で5奪三振と「オリエンタル・エクスプレス(東洋の超特急)」の異名を取る投手としては物足りない出来ではあったが泥臭くけん引し、頂点へのレールを敷いた。

参照元:スポーツ報知
 

報知新聞社後援のダブル世界戦「ワールドプレミアムボクシング」が10月16日に東京・代々木第一体育館で行われることが12日、都内で発表された。7度目の防衛を狙うWBCバンタム級王者・長谷川穂積は6月に続く、2戦連続のKO防衛を狙う。

 長谷川は実の弟のようにかわいがる粟生との共闘を誓った。「(自身の試合の前に)粟生が腰にベルトを巻いて控室に来てくれてパワーをもらいます」と笑顔で話した。

 以前からの目標である米国進出は、長谷川が望む強敵の対戦相手が見つからず、来春以降へ持ち越し。アレハンドロ・バルデスは自身の世界戦の対戦相手としては、初となるサウスポーだが、「世界戦初のサウスポーを倒して、あこがれの舞台に立てるようにしたい」と前向きに話した。

 8月下旬からはスパーリングも始める予定。体重も60キロ前後をキープしており、不安要素は見当たらない。「万全の体調でリアルなボクシングを見せたいですね」2戦連続KOで日本ボクシング界のエースとしての存在感を見せつける。

参照元:スポーツ報知
 

 女子ゴルフの最新世界ランキングが12日発表され、上田桃子は前週より一つ順位を下げ16位となった。不動裕理は17位、横峯さくらは25位、宮里藍は31位だった。

 1位のロレーナ・オチョア(メキシコ)ら上位に変動はなかった。(共同)

参照元:スポーツ報知
 

 報知新聞社後援のダブル世界戦「ワールドプレミアムボクシング」が10月16日に東京・代々木第一体育館で行われることが12日、都内で発表された。高校で6冠を獲得したプロ無敗のホープ・粟生隆寛の世界初挑戦がついに決定。北京五輪競泳男子百メートル平泳ぎ金メダリスト・北島康介ばりの有言実行で、ベルト獲得を目指す。7度目の防衛を狙うWBCバンタム級王者・長谷川穂積は6月に続く、2戦連続のKO防衛を狙う。

 男は有言実行。アマ時代からタイトルをほしいままにしてきた粟生が、世界新で2大会連続金メダルを勝ち取った北島の魂を胸に刻み込み初の世界戦に臨む。「勝ちます。北島選手が金メダルを取ったように有言実行です」この日、日本王座を返上し退路は断った。純粋な挑戦者として対日本人4戦無敗のラリオスにぶつかる。

 北島との面識はない。だが、顔が似ていると周囲に言われ、年齢も1歳しか違わないことから自然と親近感を覚えるようになった。そして11日、北島は予告通りに世界新で金メダル。「前回の五輪の後、なかなか調子が上がらなくて、でも最後に調子を上げて金メダルを取った。すごい」王座奪取のときには、もちろんリング上で「『チョー気持ちいい』って言いたい」。同じ“世界王者”としての第一声はもう決めている。

 これ以上ない援軍もいる。ラリオスはこの日、粟生が狙う王座を返上した同僚のホルヘ・リナレス(22)が昨年7月に10回KOで撃破した選手。リナレスから「前に出てくるプレッシャーはすごいけどスタミナがない。後半勝負に持ち込めばKOのチャンスもある」など、戦った者にしか分からない貴重な助言を受けた。過去のビデオも含め、丸裸にして万全の態勢を築き上げる。

 会見終了後、リナレス、そして兄貴分と慕う長谷川とともにスーツ姿のまま千葉・成田へ走り込み中心の合同キャンプへ出発。「2人にしっかりとついていきます。押し負けないパワーもつけたいですね」足を使った頭脳的ボクシングにパワーを加え、世界王座をもぎ取る。

 ◆粟生 隆寛(あおう・たかひろ)1984年4月6日、千葉市生まれ。24歳。3歳からボクシングを始め、習志野高時代には史上初の高校6冠を達成。卒業後に帝拳ジムに入門し、03年9月に2回TKO勝ちでプロデビュー。昨年3月に日本王座獲得。頭脳的なアウトボクシングを得意とする身長167センチの左ボクサーファイター。

参照元:スポーツ報知
 

◆北京五輪 柔道女子63キロ級(12日・北京科技大体育館) 谷本が、歴史に刻む連覇達成だ! 柔道女子63キロ級の谷本歩実(27)=コマツ=が、オール一本勝ちで前回アテネ大会に続く2大会連続の金メダルを獲得。決勝でドコス(フランス)を豪快な内またで倒した。柔道女子での五輪V2は、48キロ級の谷亮子(32)以来、史上2人目の快挙。10日の男子66キロ級・内柴正人(30)との“アベック連覇”で日本柔道に2つ目の金をもたらした。

 笑顔のV2だ。アテネ以降3戦全敗のライバルとの決勝。1分26秒。谷本は相手の大内刈りをすかし、内またでぶん投げた。ぼう然とするドコスの横で、両手を上げて何度もガッツポーズ。「うれしいの一言に尽きます。一本を取る柔道が貫けてよかった」。満面の笑みで会場の声援に応えた。ドコスは70キロ級へ階級変更するため、これが最終戦。「不思議な気持ちだった」表彰式で君が代が流れると、今度は涙がほおを伝った。

 4年前のアテネ五輪。5試合を合計5分足らずで相手の棄権1試合を挟み、すべてを一本勝ちというド派手な柔道で頂点に立った。今大会も4戦オール一本勝ちだったが、初戦の2回戦から準決勝までは寝技で決めた。「やってきたのは一本を取る柔道。寝技も練習してたから実になってよかった」。昨年から続く腰痛で、決して万全とは言えない中での連覇達成。五輪女王は堅実な戦いも身につけ、ひと回り大きくなって五輪に戻ってきた。

 アテネで歓喜の抱擁を交わしたバルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏が、05年で強化スタッフを離れた。「自分の柔道が止まってしまう」心配していた谷本に1枚の色紙が届いた。「これからは一人でもやる」「もう一花咲かせよう」そしてひときわ大きな文字で「磨け」。恩師の言葉に涙が出た。

 アテネ後は結果が出せずに苦しい時期もあった。「もう柔道ができないかも」と思うほどの腰のけがもあった。それでも周りの助けも受けながら一人で乗り越え、この日、真の女王になった。

 力をもらった。10日に初めて試合会場を訪れると、目の前で内柴が連覇を達成。「勝つべくして勝つ選手を見た。すごい勇気づけられた」。さらに選手村で同部屋だった谷も、息子の病気で緊急帰国する際に窓の外から「頑張って」とエール。「グッときちゃった。走って追いかけたけど、間に合わなかった。でも一番のパワーをもらいました」。銅メダルに終わった谷の無念も晴らした。

 V2で記録の上では谷に並んだ。それでも尊敬する大先輩。「まだまだです。(谷の)記録を超える? とんでもない」と謙遜(けんそん)した。ふと、金メダルに目を落としニッコリ。谷本には笑顔が一番似合う。

 ◆谷本 歩実(たにもと・あゆみ)1981年8月4日、愛知・安城市出身。27歳。柔道は9歳から大石道場で始める。桜丘高から筑波大へ進学。コマツ所属。04年アテネ五輪金メダル。世界選手権は01年3位、05年2位、07年3位。攻撃的な柔道が持ち味で、得意技は払い腰、内また。血液型A。158センチ、63キロ。家族は両親と兄、妹、祖父母。

参照元:スポーツ報知
 

卓球の組み合わせ抽選が11日、行われ、女子シングルスで福原愛(ANA)は初戦が3回戦で、勝つと4回戦で世界ランキング1位で第1シードの張怡寧(中国)と当たる厳しい組み合わせとなった。福岡春菜(中国電力)は2回戦から登場し、勝てば3回戦で第8シードの金ギョン娥(韓国)と対戦。平野早矢香(ミキハウス)は3回戦から登場する。男子のエース韓陽(東京アート)は3回戦が初戦。4回戦に進むと世界ランキング1位の王皓(中国)と当たる。水谷隼は2回戦、岸川聖也(ともにスヴェンソン)は1回戦から登場する。

参照元:スポーツ報知

ソフトボールは12日から1次リーグが開幕する。悲願の金メダルを目指す日本代表は、出場8チームの総当たり戦の初戦でオーストラリアと対戦。4位までのチームが20日の準決勝に進出するが、ヤマとなる15日の米国戦、16日の中国戦に勢いをつけたい。先発が予想されるエースの上野由岐子(26)=ルネサス高崎=は「勝つことしか考えていない。自分の力を出せば結果は出る」と力を込めた。

 北京到着後には選手村に向かうバスが高速道路で地元警察車両との接触事故を起こし、開会式の入場行進の際には一部選手が日本選手団の列から離れ、厳重注意を受けるなどトラブルもあったが、主将の山田恵里(24)=日立ソフトウェア=は「チームを信じ、自分を信じて戦いたい」と意欲を語った。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 テニス(11日・五輪公園テニス場) 女子シングルスの杉山愛(33)=ワコール=は1回戦でダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)に2―6、5―7で敗れた。

 杉山は初戦敗退にも、落ち込むことはなかった。「気持ちを切り替えて、まずは1回戦をいい形で勝ちたい」15歳下の森田あゆみ(キヤノン)と組むダブルスに向け、意気込みを示した。

 ハンチュコバ(スロバキア)との1回戦は、雷雨中断のため2日がかりだった。第1セットを2―6で落とし、第2セットも0―3と追い込まれたところで中断。この日の再開後は見違えるように動きが良くなり、敗れたとはいえ、5―5まで追い上げた。

 4大会目の五輪で初めて選手村にフルに宿泊。名前が同じ卓球の福原愛(19)=ANA=と同部屋で、「一緒にテレビを見たり楽しんでます」と、“異競技交流”を楽しんでいる。「いい機会で色々刺激を受けますね」“愛ちゃん”同士のダブルメダルに期待が高まる。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 テニス(11日・五輪公園テニス場) 男子シングルス1回戦で、期待の錦織圭(18)=ソニー=はウィンブルドン選手権4強のライナー・シュットラー(32)=ドイツ=に4―6、7―6、3―6で惜敗した。第2セットで0―5から追いつく粘りを見せたが、故障発生もあって力尽き、男子シングルスの日本勢では1924年パリ大会以来84年ぶりの勝利はならなかった。

 握手を終えてベンチに戻ると、錦織はラケットを叩きつけた。カクテル光線が照らす夜のコート。「いいプレーができていたのに…。五輪は夢だったから悔しい」最後はフォアハンドがネットにかかった。

 強敵に第1セットを奪われ、第2セットも0―5と絶体絶命。ここから驚異の粘りを見せた。強烈なサーブと積極的な攻めを披露。第8ゲームに2度、5―6の第12ゲームに3度で計5度のマッチポイントをはね返し、タイブレークをものにした。「男子で0―5から取り返すのは難しい。よく取った」と竹内映二代表監督をうならせたが、代償も大きかった。

 第3セット途中、腰に痛みが走り、タイムを取って2度もトレーナーに治療を受けた。終盤は痛みとも闘った2時間48分の死闘だった。

 6月23日のウィンブルドン選手権1回戦で全治4~6週間の腹筋痛を負って以来の実戦。父・清志さん(52)は「普通なら無理をしてツアーに出場したけど、大事を取ったんだと思う」と気持ちを思いやった。

 5歳でテニスを始めて以来、五輪にかける思いは格別だった。小学2年生の時は作文に「五輪で金メダルを取りたい」と書き、通常のツアーとは持つ意味が違う舞台を夢見続けてきた。「2セット目もいつもならあきらめていた」。選手村では卓球男子で天才と評される同世代の水谷隼(スヴェンソン)と話し「本当にモチベーションが上がった」という。

 将来性を買われ、推薦枠で今大会のテニス男子最年少出場にこぎつけた世界124位。拠点の米国に戻り、19日から全米オープン予選に臨む。18歳の夏は終わったが、「(4年後)のロンドンも狙う。優勝したい」と宣言。小2のころの夢は、必ずかなえる。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 バレーボール(11日・首都体育館) 柳本ジャパンが今大会初勝利を挙げた。女子1次リーグの第2戦が行われ、A組の日本はベネズエラにストレート勝ちした。荒木絵里香(24)=東レ=のスパイクなどで25―12、25―17、25―12と快勝し、1勝1敗。次戦は13日にポーランドと対戦する。2大会ぶりの優勝を狙うキューバは3―0で米国に快勝し、2連勝。米国は1勝1敗となった。

 日本が快勝で北京五輪初勝利を挙げた。エースの栗原恵(24)=パイオニア=が14点、荒木が16点を挙げて攻撃を引っ張って、ベネズエラにストレート勝ち。司令塔の竹下佳江(30)=JT=は「五輪での1勝はすごく貴重」と振り返った。

 初戦の米国戦は、相手の高さに負けて1―3でストレート負け。幸先の悪いスタートを切った。竹下は「みんなが『自分が自分が』と約束事にない動きや日ごろないことをしていた」と反省。この日はサーブで攻める本来のスタイルを貫き、白星をつかんだ。

 相手のベネズエラは五輪初出場で、日本とは過去15年対戦のない未知の相手。しかし、同じ組の中でははっきりと格下と言える唯一のチームであり、苦戦すら許されなかった。さらに試合が午後10時開始ということで“早期決着”がベストだったが、注文通り1時間6分で手早く料理した。

 次戦の相手はポーランド。決勝トーナメント進出争いの直接のライバルになるとみられ、負けられない戦いだ。「いい勢いを持って行きたい」(竹下)と連勝を誓った。

参照元:スポーツ報知

亀田ジム誕生―。東日本ボクシング協会は11日、定例理事会を開き、亀田3兄弟が所属する亀田ジムの加盟を賛成多数で正式承認した。これで長男・興毅(21)は国内での試合出場が可能となった。同ジム・五十嵐紀行会長(33)はWBC世界フライ級王者・内藤大助(33)=宮田=への挑戦について本格的に検討に入ることを示唆。8月30日にメキシコで行われる興毅の“前哨戦”後にも内藤陣営へ正式オファーを出す。

 ドロ沼の協栄ジム離脱劇から約3か月半。ついに新ジム設立が決まり、「亀田ジム」として国内での活動が可能となった。同時に昨年10月の二男・大毅(19)に続く内藤への挑戦がより現実味を帯びてきた。五十嵐会長は「まずは30日の試合に集中します」と前置きした上で「対戦実現は交渉ですのでどうなるか分からないが、興毅にその気持ちがあることは理解しています」と話した。30日のサルバドール・モンテス(メキシコ)戦終了後にも、因縁マッチ実現へ動き出す可能性が高まった。

 亀田ジムは、東京・葛飾の自宅に隣接する道場をそのまま使用する。将来的には移転して練習生などを集める一般的なシステムにする構想もあるというが、まずは3兄弟が世界王者になることを最優先。プライベートジムとして発足する。管理責任者に就任する吉井真二トレーナーは「他のボクサーの模範となる品格ある世界王者をつくりたい」と話した。

 理事会では賛成14票のほか、前所属の協栄・金平桂一郎会長ら3人の反対票もあった。五十嵐会長は「反対、アドバイスがあったことを忘れず、いい形に持っていきたい」と真摯(しんし)に受け止めた。協会行事などへの参加を約束した興毅は30日の試合に向け、今月下旬にもメキシコへ渡る予定。内藤との年末決戦実現を目指し、本格的に動き出す。

 ◇ジム設立までの経緯 4月に亀田家と当時所属していた協栄ジムの確執が表面化。5月に決別が決定的に。その後、仮所属申請が却下された亀田側は独立を表明。東日本協会の指導を仰ぎながら、7月にワタナベジム・渡辺均会長を推薦人に独立を申請しこの日、正式承認された。

 亀田興毅「このたび、ジム設立にあたり、ボクシング界の方々に多大なご支援とご理解をいただいたことを心から感謝します。これからは日本のプロボクシング界を盛り上げるよう今以上努力してまいりますので、よろしくお願いします」

参照元:スポーツ報知

◆男子ゴルフ今季メジャー最終戦 全米プロ選手権(10日、米ミシガン州ブルームフィールドタウンシップ、オークランドヒルズCC=パー70) 前日の悪天候で消化できなかった第3ラウンドの残りと最終ラウンドを行い、パドレイグ・ハリントン(アイルランド)が66で回り、通算3アンダーの277で初優勝した。優勝賞金は135万ドル(約1億4900万円)。

 藤田寛之(39)=葛城GC=は77とスコアを落とし、通算20オーバーで68位だった。

 ハリントンは2連覇した全英オープン選手権からメジャー2大会連続優勝でメジャー通算3勝目。同一年にメジャー2勝以上は2006年のタイガー・ウッズ(米国)以来で、欧州勢がこの大会を制するのは78年ぶり。

 2打差の2位はセルヒオ・ガルシア(スペイン)とベン・カーティス(米国)だった。(共同)

 藤田寛之「4日間で一番難しかった。自分の力を発揮できなくて残念。普段からこういうところでやっていないと、いきなり結果を出すのは無理」

 パドレイグ・ハリントン「まだ実感がわかないが、欧州勢のためにも特別な意味があると思う。この勝利で大きなステップを踏んだ。もう自分の上にはウッズしかいない」 
  ◆パドレイグ・ハリントン(アイルランド)95年にプロ転向し、欧州ツアーで力をつける。年々米ツアー参戦を増やし、05年に初優勝。昨年の全英オープン選手権でガルシア(スペイン)とのプレーオフを制して初のメジャー制覇。ことしは全英オープン2連覇に続きメジャー2大会連続優勝。米ツアー通算5勝。正確なパットに定評がある。ダブリン出身。185センチ、83キロ。36歳。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 男子百メートル平泳ぎ決勝(11日・国家水泳センター) 男子百メートル平泳ぎ決勝で04年アテネ五輪金メダルの北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が、58秒91の世界新記録で2連覇を達成。宿敵ブレンダン・ハンセン(26)=米国=の記録を更新し、日本競泳史上最多となる3個目の金メダルを手にした。世界新での金メダルは日本人として72年ミュンヘン五輪の田口信教、青木まゆみ以来36年ぶり。同種目を世界新で制したのは史上4人目の快挙で、普段は強気な男が涙を流して喜んだ。12日から予選が始まる二百メートルで、前人未到の2大会連続2冠を目指す。

 涙が止まらなかった。熱い感情を抑えられない。レース直後、ミックスゾーンに姿をみせた北島は、タオルで顔を覆った。言葉が途切れる。「うれしいです。すみません、なんも言えね~…。もう、アテネのとき以上に気持ちいいです」強気な男が、涙をぬぐい続けた。

 20年の競泳人生で初めての完ぺきなレースだった。「しゃーっ!!」。前人未到の58秒台に手を伸ばすと、会場の約1万7000人の観客から地鳴りのような大歓声。両拳を2度突き上げ、雄たけびを上げた。「1かき1かき、正確にリズム良くいこうと思った。完ぺき。理想の泳ぎだと思う」日本人の競泳での同一種目連覇は1928年アムステルダム、32年ロサンゼルスの二百メートル平泳ぎを制した鶴田義行以来76年ぶりの快挙。百メートルの世界記録も5年ぶりに奪還し、同種目初のV2を飾った。

 前半は大きく伸びのある泳ぎ。準決勝と同じ、英スピード社の高速水着「レーザー・レーサー(LZR)」の長ズボン型を着用。前半、力んで終盤に失速した準決勝の反省を生かした。自己最少の16ストロークで50メートルを3位で折り返し、ターン後に先頭へ。そのまま後続を突き放した。「前半はリラックスして、終盤10~5メートルが勝負。それまで余力を持っていることが作戦だった。ダーレオーエンの記録は脅威だった。彼が勝ってもおかしくなかった」と明かした。

 アテネ五輪で日本人初の2冠を獲得。その後はどん底を味わった。05年春、プロスイマーとして始動も燃え尽き症候群に。五輪連覇への重圧も加わり、ひじ、ひざなど故障の連続。05年には二百メートルで5年ぶりに日本選手に敗北。06年もへんとう炎で入院し、「身を引くことも考えた」。それでも、パンパシフィック選手権二百メートルでは目の前でハンセンに世界新を出され、「五輪で勝負したい」と闘志に火がついた。

 究極の目標へ自分の泳ぎを映像で徹底研究。肉体改造にも取り組んだ。キック重視の泳ぎから、腕のかきとキックで2度加速する「4WD」泳法へ進化。平井伯昌コーチ(45)は「4年前の自分を乗り越えてくれた。成長がうれしい。理想の泳ぎが完成した」とたたえた。中学の卒業文集に「負けを知った時、初めて勝つことができる」と書いた。次は二百メートル。「自分の記録を更新することを目標にしたい」負けを知り強くなった北島が、平泳ぎでは前人未到の2冠V2へ王手を掛けた。

 ◆北島 康介(きたじま・こうすけ)1982年9月22日、東京・荒川区生まれ。25歳。本郷高から日体大卒。水泳は5歳から始め、東京SCに拠点を置き00年シドニー五輪100メートル4位。02年アジア大会200メートル(当時の世界新)で優勝。03年世界水泳100メートル、200メートルで世界新(当時)で2冠。04年アテネ五輪100メートル、200メートル金メダル。06年パンパシフィック選手権100メートル銅、200メートル銀。07年世界水泳200メートル金。178センチ、73キロ。血液型B。家族は両親と弟。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 バドミントン女子ダブルス準々決勝(11日・北京工大体育館) オグシオの夢が幕を閉じた。女子ダブルス準々決勝で、小椋久美子(25)・潮田玲子(24)組(三洋電機)は第2シードの于洋・杜セイ組(中国)に8―21、5―21で完敗。初舞台でメダルの夢は散った。今後については「まだ考えられない」という美人ペアには、複数のテレビ局からキャスター就任のオファーが届いていることが明らかになり、オグシオフィーバーはまだまだ続きそうだ。

 オグシオの短い夏が終わった。試合時間わずか34分。足を踏みならす中国応援団の異様な大騒ぎを聞きながら、握手をかわした。「ごめんね」「ありがとう」短い言葉で緩んだ2人のほおに、涙がつたわった。

 壁はあまりにも高かった。世界ランキング3位の于・杜組にパワーでグイグイ押され、自分たちのリズムを作れない。焦りがミスも呼んだ。第1ゲームは8連続、第2ゲームは10連続失点。ネット際に人を食ったようなドロップを落とされ、潮田がコートにはいつくばる屈辱シーンもあった。

 3月の全英オープンでも完敗するなど05年以降5連敗していた天敵ペア。対策は積んだはずだったが、小椋は「自分たちの実力を出せないプレーをされた。何回やっても結果は結果だと思う」。潮田も「いつもこんな感じ。2ケタも取らせてくれない。これが自分たちの実力かな」と話した。

 メダルへの夢は途切れた。しかし、バドミントン界への貢献度は“金メダル級”だった。日本協会公認の写真集発刊からCM出演、DVD発売。テレビの登場回数も急増し、昨年は「オグシオ」が流行語大賞の候補になった。2人が出場する大会は観客動員が飛躍的にアップ。可れんなルックスと強靭(じん)な実力を併せ持った美形ペアは、マイナー競技だったバドミントンのイメージを塗り替えた。

 関係者によると、2人には東京、大阪のテレビ局3社からキャスター就任の要請も届いている。いずれも現役のままで“兼業”を求める異例のラブコール。さらには、映画出演の話も水面下で進行中という。日本協会にはイベント出演などのオファーが50件以上殺到。帰国後もオグシオ現象は収まりそうにない。

 潮田は「何日間か夢を見ているようだった。挑戦するのがうれしかった」と振り返った。2人はロンドン五輪という“夢”も追いかけるのか。「まだ何も考えられない。4年後? それも…。ちょっと考えます」と小椋。オグシオには、新天地での“挑戦”という選択肢もある。

参照元:スポーツ報知

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