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報知新聞社後援「ワールドプレミアムボクシング」(10月16日、代々木第一体育館)でダブル世界戦を行うWBC世界バンタム級王者・長谷川穂積(27)=真正=と世界初挑戦の同フェザー級8位・粟生隆寛(24)=帝拳=が14日、千葉・成田市内で行っている合同キャンプを公開。普段から兄弟のように仲のいい2人はゴルフ場で競うように並走した。V7戦を控え長谷川は「今はしっかりと体力をつけたい。2人で勝って最高の日にできればいい」と笑顔で話していた。

参照元:スポーツ報知

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6月に起きた岩手・宮城内陸地震で震度6弱を記録した宮城・大崎市で14日、巡業が行われ横綱・朝青龍(27)=高砂=と同・白鵬(23)=宮城野=が、被災者にエールを送った。勧進元の清酒製造業「一ノ蔵」が、同市と6強で大きな被害を受けた隣の栗原市から700人の小中学生を招待。朝青龍は「地震に負けないで自信を持って」、白鵬は「大変な思いをされたでしょうけど頑張って」と、対面した子供たちとがっちり握手した。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 柔道男子100キロ級(14日・北京科技大体育館) 柔道の男子100キロ級・鈴木桂治(28)=平成管財=は、1回戦でまさかの一本負け。敗者復活戦でも一本負けを喫し、日本選手団主将は、1勝もできないまま五輪の戦いを終了。試合後、第一線から退くことを明かし、事実上の引退を宣言した。鈴木の一戦を会場で見届けたシドニー五輪金メダリストで6月に引退した井上康生氏(30)=綜合警備保障=が、スポーツ報知に観戦記を寄せた。

 衝撃的な敗戦だった。1回戦のツブシンバヤル(モンゴル)戦。1分26秒、相手のもろ手刈りに鈴木の体が浮き上がると、そのまま畳にたたきつけられ一本負け。敗者復活1回戦でもベールラ(ドイツ)にわずか34秒で一本負け。「何やってんだろう」とめどなく涙があふれた。

 日本選手団主将が敗戦…。主将としての重圧は「特に感じてなかった」というが、前回大会の井上康生ら過去3大会で日本の主将は“金逸”。ジンクスは今回も破れなかった。柔道人生の集大成を懸け、万全の状態で五輪史上3人目の2階級制覇に挑んだが敗戦。「今の自分は空っぽ。やり残したことはない」と現役引退も示唆した。

 日本男子にとっても痛い敗戦だ。鈴木は五輪、世界選手権を制している日本のエース。悪い流れを断ち切ることを期待されたが、まさかの早期敗退を喫した。「これ以上ない状態で臨んでもああいう結果になる。これは何だろう」斉藤仁監督(47)も首をひねるばかり。日本男子は66キロ級・内柴正人(30)=旭化成=の金メダルの流れに乗れず、逆にその後の強烈な引き潮にのみ込まれてしまっている。残るは競技最終日の石井のみ。「何も考えず思い切ってやってほしい」日本のプライドは、21歳の若武者に託された。

 ◆地元応援団ため息 ○…鈴木の地元、茨城・常総市(旧・結城郡石下町)の石下総合体育館では試合開始前から、同級生や鈴木が3歳の時から通っていた石下体協柔道部の生徒ら約100人が集結。「必勝」と書かれた鉢巻きをしめて、声援を送った。だが、鈴木が1回戦で敗れ、敗者復活戦でも敗れると「何で…」「あ~」などのため息が。81キロ級に出場し敗れた小野卓志(了徳寺学園職)も石下町の出身。当初はダブル金も期待されていたが、2人とも初戦で苦杯をなめたとあって、誰もが肩を落としていた。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 卓球(14日・北京大体育館) 女子団体1次リーグで、D組の日本は3―2でスペインを下したが韓国に0―3で敗れ、2勝1敗の2位に終わった。ヤマ場の韓国戦でシングルスの先陣を切った福原愛(19)=ANA=は、精彩を欠いて0―3で完敗。15日からの敗者復活戦に回ることになり、銅メダル獲得へは3連勝するしか道はなくなった。男子D組の日本は香港に3―0で勝利し同組1位で準決勝に進出。決勝進出をかけて16日にB組1位のドイツと対戦する。

 嫌な流れは断ち切れなかった。1次リーグ最大のヤマ場だった韓国戦。シングルスで先陣を切った福原は、5月の荻村杯で勝っている唐にあっさりストレート負けを喫した。元気もなく、ミスも連発。壁を突き破る勢いは出せなかった。続く平野が1―3で落とし、ダブルスの福岡・平野組も日本が苦手とするカット型の朴・金組に競り負けた。

 「すごく自分が情けない」と振り返ったスペイン戦の苦戦が尾を引いた。3―2。最後は自らの勝利でスペインを振り切った福原だが、最初のシングルスでは気持ちと体がかみ合わずシェンの前に沈んだ。「勝ちたいという気持ちが自分にプレッシャーを与えすぎてしまった」。格下に迫られた日本の大苦戦が、道のりの厳しさを示していた。

 どうにか命拾いしたスペイン戦。調子が上がらない福原は、ついに「サー」の全面解禁にも踏み切った。重圧のかかる最終決戦の途中から得点のたびに掛け声を連発。世界ランキング120位のドボラクを振り切った。追いつめられた気持ちが、無意識にトレードマークの封印を解いたのか。窮地の「サー復活」についてはコメントを避けたが、五輪の怖さを思い知らされたことは間違いなかった。

 近藤欽司監督(65)は「自分のプレーを考えすぎている。もう1回リセットしてほしい」と祈るように話した。下降線をたどって銅メダルを争う敗者復活戦へ。プレーだけでなく、気持ちの修正も必要だ。「睡眠を取るか、相手の分析を取るか」と福原。迷えるエースが復活しない限り、目標のメダルは見えてこない。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 競泳男子二百メートル平泳ぎ決勝(14日・国家水泳センター) 史上初の五輪平泳ぎ2大会連続2冠を成し遂げた北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が、北京五輪限りで現役を引退することが14日、明らかになった。今大会前、近い関係者に「五輪は今回が最後」などと話していた。この日の男子二百メートル平泳ぎ決勝は2分7秒64の五輪新で、1928年、32年の鶴田義行以来76年ぶり2人目の連覇を達成。不世出のスイマーは、第一線でのラストレースとなる男子四百メートルメドレーリレー(15日夕予選、17日午前決勝)で有終の美を飾る。

 北島はこれまで、公には「(去就は)北京五輪後に考える」と話してきた。だが、金字塔を打ち立てた帰り際、報道陣から平井伯昌コーチ(45)が「北島が辞めるんじゃないか」と寂しがっているとの話を振られ、「僕も(北京に)入る前からそのつもり(辞める気)でやってる。寂しい気持ちはあった」と今大会限りで第一線を退くことを明かした。

 親しい関係者には、既に引退の意向を伝えていた。6月のジャパンオープン男子二百メートル平泳ぎ。小学時代からレースをしてきた東京辰巳国際水泳場で世界新を出し「もう泣きそう」と声を震わせた。5年ぶりに世界記録を奪還した喜びに、別の感情も入り交じっていた。周囲に「国内最後のレース」になることを告げていた大会で世界新を出せた達成感だった。

 この日の決勝後、中学2年から指導を受ける平井コーチと握手。「ありがとうございました」と頭を下げた。平井コーチはその後、金メダルを手に報道陣の前に現れて男泣き。「二百メートルを全力で泳ぐのはこれが最後かなと思って見ていた。康介を指導してもう一度、青春時代がきた感じで充実していた。幸せだった」と言葉をつまらせた。

 北島にも期するものがあった。普段は海外遠征に水泳用具以外は持ち込まないが、今回は会社員の弟・亮二さん(24)や親しい友人から贈られた日の丸を持参。亮二さんが「きばれ!!」と書き込んだものを手に、会場に日の丸を掲げる場面をイメージしていた。

 プロスイマーとなったアテネ後は、ひじやひざの故障の連続。2年続けて国内大会で日本選手に敗れた06年は、へんとう炎で入院と苦難が続いた。「ロンドンは無理。五輪は今回が最後」親しい友人らには本音をもらしていた。だからこそ、悔いを残さぬよう「世界新での2冠」という究極の目標を掲げた。ミズノと個人契約を結びながら、英スピード社の高速水着「レーザー・レーサー」を着用。水着騒動の際は「泳ぐのは僕だ」と書かれたTシャツを着て矢面に立ち、水着ではなく、選手個々の努力に着目してほしいと訴えた。

 「目標は連覇じゃなく、完ぺきな泳ぎをすることだった。やってきたことを結果として残せて良かった」日本競泳史上最強スイマーは笑みを浮かべた。引退後の活動については、現時点では白紙。ただ、以前から「指導者には向いてない。水泳には携わっていきたい」と話しており、何らかの形で自身の経験を日本の水泳界に役立てていくとみられる。

 ◆北島 康介(きたじま・こうすけ)1982年9月22日、東京・荒川区生まれ。25歳。本郷高から日体大卒。水泳は5歳から始め、東京SCに拠点を置き00年シドニー五輪百メートル4位。02年アジア大会二百メートル(当時の世界新)で優勝。03年世界水泳百メートル、二百メートルで世界新(当時)で2冠。04年アテネ五輪百メートル、二百メートル金メダル。06年パンパシフィック選手権百メートル銅、二百メートル銀。07年世界水泳二百メートル金。178センチ、73キロ。血液型B。家族は両親と弟。

参照元:スポーツ報知

 ◆北京五輪 サッカー男子 1次リーグB組 日本0―1オランダ(13日・瀋陽五輪センター体育場) すでに1次リーグ敗退が決まっている日本は13日、欧州王者のオランダと対戦した。初勝利を目指す日本は第2戦から先発5人を入れ替えたが、後半29分にFWジェラルド・シボン(34)=ヘーレンフェーン=にPKを決められて、万事休す。0―1で敗れ、日本は3戦全敗。現行方式となった96年アトランタ大会以降、日本が勝ち点0で終えたのは史上初の失態。

 屈辱のホイッスルだった。3戦全敗―。つらすぎる現実にDF長友、MF細貝は地面にへたりこみ、FW森本はロッカールームに足早に消えていった。「結果が出なければ悔いは残る。この世界は勝者と敗者にしか分かれない」とDF水本。現行制度になってから初の勝ち点ゼロで終わった。

 敗因は反町監督の失敗と誤算が招いた。指揮官はアジア予選を終え、今年に入り選手を大幅に入れ替えた。「アジアで勝つ」から「世界で勝つ」ためだ。森本、森重、香川…。今大会ピッチに立った多くの選手は今年に入って呼んだ。香川、安田、長友らがフル代表とかけもちで、連係を高める時間は少ないが「国際舞台に立って暴れるような選手を選んだ」指揮官は同じメンバーで組織力を高めるよりも、個人の能力に期待した。

 5月のトゥーロン国際。反町監督は3位決定戦まで行き、「いける」と好感触を得た。イタリアのU―21やオランダの1軍半を相手に、善戦した程度で、そう判断したのは、「OA」選手が加われば…MF遠藤とFW大久保の存在を計算に入れてのことだった。しかし遠藤はウイルス感染症で、大久保は故障で招集出来なかった。2人の離脱が大会直前だったことは不運だったが、反町構想は大会前から崩れていた。

 香川、長友はほかの選手との連係を欠き、機能しなかった。トゥーロンでエースに任命したはずの森本は2試合目から使わず。改造チームは大会中に、分解した。「こんなにあっけないものなのかという現実を突きつけられた」とMF本田圭。06年7月に発足以来、2年かけた成果を何も残せないまま、反町ジャパンは北京から去った。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 野球1次リーグ キューバ4―2日本(13日・五カ松球場) 星野JAPANは痛恨の黒星発進となった。野球の1次リーグが13日に開幕し、日本代表は最大のライバル・キューバと対戦。自信を持って送り出したエースのダルビッシュが制球が定まらず、4回0/3で4失点KO。先発を右のベラと読み、3番に森野を起用した打線も3併殺にバントミスと精彩を欠き、2度同点に追いつくのがやっと。星野仙一監督(61)は「切り替えてやるしかない」と、14日の台湾戦に涌井を先発に起用し、初白星を目指す。

 北京の夜空に、星野監督の怒号が響き渡った。「NO、NO、NO!(バットを)振ってないやないか!」目をつり上げ、勢いよく一塁ベンチを飛び出した。2点を追う9回無死一塁。一発出れば同点という場面で、里崎の空振り三振の判定に、闘将の血圧は恐ろしいほど急上昇した。

 ロドリゲス球審が、抗議を受け付けようとしない。代打を送るため、さらに一歩を踏み出そうとした瞬間、球審の右手がクルリと回った。退場の宣告に球場全体が騒然となった。慌てて関係者が飛び出し、事情を説明。国際試合、しかも五輪の舞台での退場は取り消しとなった。

 「ピンチヒッターと言ったのに(さらなる抗議と)勘違いした。言葉のミステークや」猛抗議した姿とは対照的に穏やかな口調で切り出したが、試合内容に話が及ぶと、あっという間に勝負師の表情に戻った。「ダルビッシュは見ての通りや。緊張感はあったけど、いつもの本来のピッチングじゃなかった。球数を多く投げていけば立ち直るタイプだが、きょうは気配がなかった」と、エースの乱調に顔をしかめた。

 準備万全で臨んだ初戦の大一番。先発を右のベラと読み切り、3番に森野を大抜てき。左打ちを6人も並べて最強のアマ軍団に挑んだが、3、5回に同点に追いつくのがやっと。4回無死一、二塁では里崎がバント失敗し、揚げ句に3併殺を食らった。「あそこで追いつかないといけないのに、できなかった」練習試合が2試合だけで本番に臨むのは、想像以上に厳しいものだった。

 両チームとも9安打だったが、主導権は終始キューバのもの。「キチッと仕上げてきたということやな」オランダでのハーレム国際野球大会を視察した1か月前からの変身ぶりに、さすがに驚きを隠せなかった。

 エースで落とし、痛恨の黒星スタート。それでも指揮官は敗戦後、両手を叩いて、沈みがちな選手を鼓舞した。「切り替えてやるしかない。ダルビッシュには3試合投げてもらわないとな」と語気を強めた。成瀬の復活にマー君の衝撃デビュー。明るい材料を心の支えにして、闘将が台湾戦を全力で勝ちにいく。

参照元:スポーツ報知

 陸上女子五千メートル、一万メートル代表の福士加代子(26)=ワコール=、一万メートル代表の渋井陽子(29)=三井住友海上=らが13日、成田空港から北京入り。女子マラソンを欠場することになった、野口みずき(30)=シスメックス=の無念を、共に代表の座を争った2人が晴らす。

 福士は野口の欠場を12日の夜に知ったそうで、「どういう心境なのかなとは思うけど、わからない。これからのことを考えると思い切った決断だったと思う」と複雑な表情を見せた。渋井も「残念」と言葉少な。だが、2人は無念さを誰よりもわかっているはずだ。

 その2人はそろって好調ぶりをアピール。渋井は「日本選手権の前より全然調子がいい。(15日の一万メートルでは)勝負に徹する。でも日本記録を出せるぐらいで走れたら最高」。福士も「調子いい。入賞ラインを目指して頑張りたい」と意欲を見せた。一万メートルで大活躍を見せ、女子長距離代表の暗いムードを一掃する。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 卓球女子(13日・北京大体育館) 中国からの声援も受けた愛ちゃんが“返り討ち発進”した。今大会初採用の卓球団体は男女の1次リーグが始まり、女子D組の日本はオーストラリアに3―0で快勝。2番手の福原愛(19)=ANA=はアテネ五輪シングルスでも勝っているミャオ・ミャオ(27)を3―2で破った。男子D組の日本もナイジェリアとロシアにともに3―0で勝った。同組では香港が同じく連勝し、日本の2位以上が確定した。

 3―2のフルゲームでミャオ・ミャオを下した愛ちゃんは、左の拳をギュッと握っただけ。派手に喜ぶ姿はなかった。アテネ五輪と同じ初戦の勝利だが、とらえ方は違う。何が何でも手に入れたい団体戦のメダルへ、通過点の“1勝”でしかなかった。

 15歳で初出場した前回五輪のシングルスでも初戦で対戦し、フルゲームで逆転勝ちした。再戦が決まると「厳しい戦いになるな」と予想。やはり、もつれた。頭の中で戦術が先行するあまり、「基本中の基本」という攻撃を忘れかけた。

 第5ゲーム。「ここまできたら攻めるしかない」と開き直った。右腕を全開で振り切るフォアが何度もさく裂。本来の姿で「何か縁がある」というミャオ・ミャオを返り討ちにした。「反省点も出てきたし、初戦で見つかってよかった」緊迫の初戦から課題も見いだした。

 トレードマークの「サー」は5月から封印。この日、その掛け声が出たのは苦境でスマッシュを決めた一度だけだった。声を出す代わりに相手の次のプレーを予測。熱くなりすぎず、冷静な展開を心掛けた。アテネから4年。2度目の舞台には、大人になった愛ちゃんがいた。

 中国のスーパーリーグでのプレー経験もある福原。スタンドには中国人ファンからの声援も飛んだ。「中国の方に応援してもらえたのが力になった。アウェーじゃないなと感じて、戦いやすかった」8月13日は福原が卓球を始めた記念日だ。3歳だった1992年に仙台市の自宅近くの卓球場に立った。それから16年。成長した姿を大舞台で見せた。

 杉山愛らテニス代表と同部屋の選手村ではバレーなどをテレビ観戦。「顔つきや雰囲気を見てると自分にも移ってくる」と日本選手団からも力を得ている。14日の韓国戦は1次リーグ最大のヤマ。苦手とするカット型2人を擁する世界ランク4位の強敵だ。「戦術も大事だけど、気持ちの方がもっと大事。一本目から攻めていきたい」開会式の入場行進で旗手を務めた愛ちゃんが、メダルへの道も先導する。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 バレーボール ▽A組 日本3―2ポーランド(13日・首都体育館) 柳本ジャパンが8強入りへ前進した。女子1次リーグの第3戦が行われ、A組の日本はポーランドをフルセットで破り、2連勝となった。通算2勝1敗。決勝トーナメント進出への最低ラインとなる2勝をクリアした。次は15日に3連勝中のキューバと戦う。

 苦しかったからこそ喜びも大きかった。エースの木村沙織(21)=東レ=が勝利を決めるアタックをねじ込むと、柳本晶一監督(57)は拳を握って叫んだ。コートでは笑顔の輪ができた。8強へ視界は開けた。

 午後10時30分に始まった試合は、日付をまたいだ。1時間54分の死闘。幸先よく2セットを連取するも、第3セットを簡単に返され、第4セットはブロックポイントすら取れなかった。流れは完全にポーランドだった。最終セット。やはり、2人のエースが日本を救った。栗原恵(24)=パイオニア=の連続スパイクポイント。そして、サオリンがしめた。

 絶対勝たなければいけない相手だった。最も格下のベネズエラを除き、4位の座をポーランドと争わなければならない。五輪切符を得た世界最終予選でも6勝1敗で並んだが、得点率でポーランドが1位、日本は3位だった。直接対決は勝っていたが、そのときは不在だった190センチのグリンカに苦しめられた。勝つか負けるかで天国と地獄の差があった。

 次は優勝候補最右翼の中国に逆転勝ちし、3連勝と波に乗るキューバ。勢いづいた日本が立ち向かう。

参照元:スポーツ報知

報知新聞社後援のダブル世界戦「ワールドプレミアムボクシング」が10月16日に東京・代々木第一体育館で行われることが12日、都内で発表された。高校で6冠を獲得したプロ無敗のホープ・粟生隆寛の世界初挑戦がついに決定。北京五輪競泳男子百メートル平泳ぎ金メダリスト・北島康介ばりの有言実行で、ベルト獲得を目指す。7度目の防衛を狙うWBCバンタム級王者・長谷川穂積は6月に続く、2戦連続のKO防衛を狙う。

 男は有言実行。アマ時代からタイトルをほしいままにしてきた粟生が、世界新で2大会連続金メダルを勝ち取った北島の魂を胸に刻み込み初の世界戦に臨む。「勝ちます。北島選手が金メダルを取ったように有言実行です」この日、日本王座を返上し退路は断った。純粋な挑戦者として対日本人4戦無敗のラリオスにぶつかる。

 北島との面識はない。だが、顔が似ていると周囲に言われ、年齢も1歳しか違わないことから自然と親近感を覚えるようになった。そして11日、北島は予告通りに世界新で金メダル。「前回の五輪の後、なかなか調子が上がらなくて、でも最後に調子を上げて金メダルを取った。すごい」王座奪取のときには、もちろんリング上で「『チョー気持ちいい』って言いたい」。同じ“世界王者”としての第一声はもう決めている。

 これ以上ない援軍もいる。ラリオスはこの日、粟生が狙う王座を返上した同僚のホルヘ・リナレス(22)が昨年7月に10回KOで撃破した選手。リナレスから「前に出てくるプレッシャーはすごいけどスタミナがない。後半勝負に持ち込めばKOのチャンスもある」など、戦った者にしか分からない貴重な助言を受けた。過去のビデオも含め、丸裸にして万全の態勢を築き上げる。

 会見終了後、リナレス、そして兄貴分と慕う長谷川とともにスーツ姿のまま千葉・成田へ走り込み中心の合同キャンプへ出発。「2人にしっかりとついていきます。押し負けないパワーもつけたいですね」足を使った頭脳的ボクシングにパワーを加え、世界王座をもぎ取る。

 ◆粟生 隆寛(あおう・たかひろ)1984年4月6日、千葉市生まれ。24歳。3歳からボクシングを始め、習志野高時代には史上初の高校6冠を達成。卒業後に帝拳ジムに入門し、03年9月に2回TKO勝ちでプロデビュー。昨年3月に日本王座獲得。頭脳的なアウトボクシングを得意とする身長167センチの左ボクサーファイター。

参照元:スポーツ報知

男子プロゴルフの石川遼(16)=パナソニック=が13日、新潟・ヨネックスCCで行われたヨネックスジュニア選手権でプレゼンターを務めた。小学校高学年女子の部では妹の葉子さん(小6)が79で優勝。8月21日から滋賀GCで行われる関西オープンに出場する石川だが、最近の空き時間は北京五輪を熱心にテレビ観戦。昨オフに初対面した競泳の北島康介にも「(百メートル平泳ぎ)準決勝の時と、金メダルを取った時では表情が違った」と世界をまたにかける勝負師たちの動きに刺激を受けていた。
参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 男子二百メートルバタフライ決勝(13日・国家水泳センター) 師弟二人三脚で五輪メダルにたどり着いた―。男子二百メートルバタフライ決勝で松田丈志(24)=ミズノ=が、1分52秒97の日本新で銅メダル。この種目はアテネで銀の山本貴司に続き2大会連続で日本勢が表彰台に立った。4歳から指導を受ける元実業団選手の久世由美子コーチ(61)との地道な練習の積み重ねで、夢に見てきたメダルをつかんだ。「怪物」マイケル・フェルプス(23)=米国=が1分52秒03の世界新で2連覇し、金メダルの通算獲得数を11個まで伸ばした。

 初めて上った五輪の表彰台から降りると、松田は金のフェルプス、銀のチェーが誘導されたのとは逆の方向へ一目散に駆け出した。そして客席の最前列で写真を撮っていた久世コーチにもらったばかりの花束を手渡し、熱く抱擁した。「ありがとうございました」「よくやったね」。師弟の最高の笑顔が交錯した。

 身長差30センチ、年の差37歳のまるで親子のような師弟が、足かけ20年の二人三脚でメダルをつかんだ。2人の原点は故郷、宮崎・延岡市の東海(とうみ)SC。松田が4歳から通い始め、久世コーチは「まずは土台。人間性をしっかり作る」と指導を引き受けた。

 厳しい環境下での地道な努力がタフな心身をはぐくんだ。練習拠点は、田んぼに囲まれた中学校内にある手作りのビニールハウスに覆われた25メートルプール。8コースで深さは約1メートルしかない。冬は10度と寒く、夏は40度に達する中、1日2万メートルもの泳ぎ込みを重ねた。愛知・中京大に拠点を置く現在も帰郷した際は立ち寄り、一生懸命泳ぐ子供たちと一緒に練習する。

 大学進学の際、多くの強豪校は久世コーチと離れることを条件に勧誘にきた。松田は「別なら行かない」と拒否。中京大だけが師弟をともに受け入れてくれた。年老いた義父母と同居する主婦でもある久世コーチは悩んだ。しかし夫の征志さん(62)が「ここで引き留めたら、おれもおまえも後悔する。行ってこい」と背中を押してくれた。

 延岡から愛知へ移り住み、食事や身の回りの世話もして支えた“お母さん”は「今日のためにあきらめないで、まじめにコツコツ頑張ってきた」と涙した。松田は「コーチとの二人三脚に誇りを持ってる。メダルとして残せて良かった。やっと恩返しができた」と笑って、久世コーチの首に銅メダルをかけた。

 ◆松田 丈志(まつだ・たけし)1984年6月23日、宮崎・延岡市生まれ。24歳。延岡学園高―中京大―中京大大学院2年。水泳は4歳から、バタフライは高校2年から。04年アテネ五輪四百メートル自由形8位、千五百メートル予選落ち。二百メートルバタフライ準決勝敗退。05年世界選手権二百メートルバタフライ銀。四百メートル、八百メートル、千五百メートル自由形、二百メートルバタフライと現在、最多計5種目の日本記録保持者。184センチ、83キロ。血液型O。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 柔道女子70キロ級(13日・北京科技大体育館) 日本女子連夜の金だ、上野V2だ―。柔道女子70キロ級の上野雅恵(29)=三井住友海上=が、決勝でエルナンデス(キューバ)に開始46秒、朽ち木倒しで一本勝ちを収めるなど準決勝以外一本勝ちで五輪連覇を達成した。同じ企業の柔道部に所属する二女・順恵(よしえ、25)、三女・巴恵(18)の2人の妹に姉の強さを示した。アテネ大会から連覇を狙った日本勢としは、12日の柔道女子63キロ級、谷本歩実(27)=コマツ=に次いで4人目の「真正的王者」誕生となった。

 やっぱり、お姉ちゃんは強かった。小外刈りから朽ち木倒しへの連絡技で、上野はわずか46秒で五輪連覇を果たした。「うれしいというか疲れた感じ」その姿を、付き人として帯同した三井住友柔道部63キロ級の二女・順恵は控室で感涙し、今年から同社に入社した70キロ級の三女・巴恵は、スタンドで見守った。「妹もいたし、私としてもいい試合を見せたかった」。5戦中4戦で一本勝ちという圧倒的な五輪制覇で、姉の“威厳”を示した。

 アテネ後の4年間は「つらいことが多かった」と上野。05年のカイロ世界選手権では初戦敗退。引退も考えるほど落胆し、「やめて福祉の仕事に就こう」と思い、地元・北海道旭川市に戻って専門学校の見学もした。支えになったのが妹の存在だ。順恵は北京を目指し、合言葉は「一緒に五輪に出る」。2人で見た夢を自分だけが投げ出すわけにはいかなかった。

結局、自身は3大会連続の五輪出場を決めたが、順恵は落選。母・和香子さん(52)は「自分は代表になったのに全く喜んでいなかった」。妹の無念も背負って北京の畳に上がっただけに、負けられなかった。試合後はがっちりと握手。「自分のことのようにうれしい、おめでとう」「心強かった。ありがとう」。言葉はそれだけで十分だった。

 上野三姉妹は今、同じ道場で汗を流している。「前は自分のことだけだったけど、お姉さんらしくなった」と三井住友海上の柳沢久監督。上野も「人のために柔道は頑張れなかったけど、妹のためになることは私に戻ってくる」と変わった。巴恵は同じ階級の先輩でもある姉の見事な勝ちっぷりにしばしぼう然。「本来の力を出せばお姉ちゃんが勝てると思ってたけど、やっぱりすごい」と目を丸くした。

 29歳の上野はこれを最後の五輪と決めている。今度は順恵、巴恵の2姉妹がロンドン五輪を狙う。北京本番までは2人に練習相手を務めさせ、調整、そして試合の勝ち方を“体現”してきた。応えるように巴恵はこの日、姉の対戦相手の特徴をノートに細かく記した。姉が残した偉大な足跡は、2人の妹にとっての道しるべとなるはずだ。

 ◆上野 雅恵(うえの・まさえ)1979年1月17日、北海道旭川市生まれ。29歳。柔道は小学1年から。旭川南高2年の全国高校選手権準V。98、99年全国女子体重別連覇、00、04年アジア選手権V、01、03年世界選手権V。初五輪の00年シドニー大会は3回戦敗退、アテネ大会で初優勝。得意技は体落とし、大内刈り。血液型A。161センチ、70キロ。家族は両親と妹2人。

参照元:スポーツ報知

◆北京五輪 フェンシング男子フルーレ個人(13日・国家会議センターフェンシング館) 日本の“天才剣士”太田雄貴(22)=京都ク=が、フェンシング男子フルーレ個人で銀メダルを獲得した。決勝ではクライブリンク(ドイツ)に9―15で敗れたものの、団体、個人を通じて初の日本人メダリストが誕生した。1896年の近代五輪・第1回アテネ大会から行われている最古の競技に、太田の名が刻まれた。第6日は柔道女子70キロ級で上野雅恵(29)=三井住友海上=がアテネに続く2大会連続金メダル、競泳男子二百メートルバタフライで松田丈志(24)=ミズノ=が銅に輝き、日本の今大会のメダルは9個になった。

 五輪のフェンシングで日の丸が揚がった。惜しくも2位に終わった太田はマスクを脱ぐと悔しそうな表情で汗をぬぐった。「素直に喜んでいいんじゃないですか」目に涙はなかったが、苦節77年、日本フェンシング界は歓喜の涙を流した。

 準々決勝で昨年世界選手権覇者のヨピッヒ(ドイツ)を15―12で撃破する大金星をつかみ勢いに乗った。フルーレは1セット3分間の3セット制で15点先取すれば勝つ。迎えた決勝は伝統国ドイツのクライブリンクだ。第1、第2セットでリードされ、3―9で迎えた第3セット。太田は粘って5点差まで追い上げたが、16秒を残して9―15で敗れた。

 マイナー競技が初めて日の目を見た瞬間だった。柔道、競泳などの陰には隠れているが、1896年の第1回アテネ五輪から実施されている8競技で、唯一日本がメダルを獲得していない“弱小スポーツ”。それだけに今回はテレビで生中継の予定すらなし。しかし、太田の日本選手初の決勝進出に、NHKでは14日早朝の録画放送の予定を急きょ変更。13日午後10時すぎから衛星第1で生中継された。

参照元:スポーツ報知

 左ひざ痛のため米フロリダ州タンパで調整しているヤンキースの松井秀喜外野手は12日、故障者リスト入りした後、最多の88スイングのフリー打撃に取り組み「練習ではまあまあいい感じで打っている。ひざのことを気にしないでできている」と話した。

 この日はランニングは休み、室内でサイクルマシンを使って調整。13日にベースランニングでひざの状態を確認し、14日にもマイナーのリーグ戦に出場する。

参照元:スポーツ報知
 

◆北京五輪 サッカー女子 1次リーグG組 日本5―1ノルウェー(12日・上海スタジアム) “上海の奇跡”だ! なでしこジャパンが土壇場で生き残った。日本女子代表は1次リーグ最終戦でノルウェーに5―1で大逆転勝ちし、G組3位で決勝トーナメントに進出した。勝利しか許されない状況で前半27分に先行を許したが、同31分にDF近賀ゆかり(24)が同点弾。後半6分にラッキーなオウンゴールで勝ち越すと、FW大野忍(24)=ともに日テレ=などのゴールで、シドニー五輪の女王を撃破した。アテネに続いて2大会連続となる準々決勝進出で、15日は開催国・中国と激突する。

 これがなでしこの底力だ。勝つしかない状況で1点をリードされ、迎えた前半31分。左サイドからMF宮間がファーサイドにクロス。そこにフリーで飛び込んだDF近賀。右足ボレーでネットを揺らした。「1試合で失点の重みを感じた」。6日の初戦ニュージーランド戦でクリアせずに見送ったボールを先制弾として押し込まれ、責任を感じていた。汚名返上の一撃。苦しみから解放されるかのようにガッツポーズし、駆け寄ったMF沢に飛びついた。

 世界ランク5位の強豪にもひるまなかった。試合前の宿舎で佐々木則夫監督(50)はF組3位だった北朝鮮がドイツに0―1で敗れたのを知った。「1点差で勝てばいい。もし1点取られても、2点返すことが君たちは可能だ。あわてずに1点ずつ返せばいい」と指示した。その言葉を信じたイレブンは、誰もが予想しなかったゴールラッシュを演じた。

 猛攻をしかけ、後半6分に相手オウンゴールで勝ち越し。そしてエースFW大野は虎視眈々(たんたん)と狙っていた。「消極的なプレーではなく、仕掛けてシュートを打とうと思っていた」ドリブル突破からミドルシュート。3点目で突き放した。上海に移動して11日からアルゼンチン男子と同宿。大ファンのメッシ(バルセロナ)からサインをもらい、一緒に記念撮影。「もうストーカーみたいです」。父は横浜Mの前身の日産自動車のプレーヤーだった。両親が応援してくれる今大会最後の試合で、奇跡の大逆転劇のノロシを上げた。

 この日は日本から持参した東京・熊野神社の八咫烏(やたがらす)のお守りをサッカーパンツの中にみんなで忍ばせた。2つのうち、1つはニュージーランド戦で“使用”。2つ目は大逆転勝利を演出した。エース沢も代表通算71点目で北欧の強豪にとどめを刺した。

 2大会連続の8強。準々決勝は中国と激突する。今年は公式戦で1勝1敗。秦皇島では大ブーイングの完全アウェーが待っている。「開催国と戦うことは名誉なこと。私たちのサッカーを数多くの人に注目してもらえる」と指揮官。沢は「3度目ですし、今回の五輪にかけてるものは誰よりも強い」。なでしこは世界の頂点を目指して走り続ける。

参照元:スポーツ報知
 

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